第12回 浅岡 美恵(あさおか みえ)さん(気候フォーラム事務局)
<プロフィール>
 1947年(昭和22年)徳島県生まれ。70年京都大学法学部卒業、72年京都弁護士会登録。スモン訴訟や水俣病訴訟などの公害問題だけでなく豊田商事事件など消費者問題に取り組む。京都の環境NGO「環境市民」の共同代表として市民セクターから環境問題に取り組み、1992年の国連環境開発会議(地球サミット)や気候変動枠組条約第2回締約国会議(COP2)に参加。昨年12月1日に設立された「気候フォーラム−気候変動/地球温暖化を防ぐ市民会議」事務局長として12月に開かれる京都会議の準備に奔走している。



幸田 浅岡さんは、スモン訴訟や水俣病訴訟などの公害問題や消費者保護、女性問題などに弁護士としてかかわっていらっしゃいました。今回温暖化防止京都会議(COP3)にNGOの立場として取り組まれるきっかけは何ですか。
浅岡 京都を本拠地とする「環境市民」というNGOの共同代表であったことと、京都で会議が行われることがきっかけといえばきっかけですが、地球温暖化は21世紀の環境政策の中で大きなテーマです。市民が役割を果たすことが日本の将来にも会議自体にもよい影響を及ぼすはずです。また、子供たちに私たちの世代の取り組みを示す必要があるのではないでしょうか。
幸田 あえてNGOの立場から活動しようと思われたのには、弁護士としてこれまでやってこられた活動と通じるものがあったからでしょうか。
浅岡 現在の日本の法制度はまだまだ被害の救済も難しい。未然防止はもっと難しいのです。法制度や社会の仕組みが現実に追いついていない。裁判所はその法制度の下にあるので、法律家としての役割には制約があります。
 けれども、被害者に対して「お気の毒ですけれど、仕方がありませんね」というわけにはいかない。何とかしなくてはいけない。そこで、市民の立場からマスコミなどを通じて訴え、多くの人に問題を理解してもらうことが必要になるのです。地球温暖化防止についても同じことが言えます。
幸田 今日、公害から地球環境へと焦点は移ってきていますが、私たちはこの問題を乗り切ることができるとお考えですか。
浅岡 公害事件のときは本当は、ほんのちょっとイマジネーションを豊かにすればあのような被害を引き起こさずにすんだはずです。しかし、地球環境のような問題は相当イマジネーションを豊かにしないと見えにくい。目に見えるようになったときには、回復のためにかかる時間も桁違いに大きいでしょう。取り返しがつかないかもしれません。それだけに、国民的な関心が高まることが必要です。
幸田 問題が重大化する前に早めに対応しなければならないという公害の教訓は地球環境問題にも活かす必要があるでしょうね。
浅岡 ほとんどの研究者はIPCC(気候変動に関する政府間パネル) の報告書を評価し、支持していますが、一部の人は「根拠がない」と言う。IPCCのレポートに不確実な点を探すことは簡単なことです。将来のことですから。このような見解を同じバランスで報道しがちなマスコミの問題もあります。
 かつての公害事件でも同じでした。例えば、水俣病は1956年(昭和31年)に公式に病気が確認されたのですが、原因不明ということで1968年まで工場は操業を続けました。製法が変わり旧工場が不要になったので、ようやく政府も因果関係を認めたのです。それまで、原因不明とする「科学者」を見つけることは容易でしたし、裁判所でも果てしない因果関係論争を続けました。地球温暖化でも同じ要素があり、国際的に二酸化炭素(CO2)を削減する方向になっている一方で、最近逆の動きがまた強くなっています。
幸田 京都会議の参加者は5,000人を超えると言われ、過去日本で開催された国際会議としては最大規模のものになります。気候フォーラムの活動の焦点は決まりましたか。
浅岡 京都府、京都市に施設を提供していただき、NGOフォーラムを開きます。国際会議場での締約国会議と並行して、NGOとしてさまざまな角度からの問題提起の場を集約していきたい。もう一つは、勇猛果敢なるチャレンジですが、CAN(Climate Action Network)の重要なロビー活動の一つである英語版「eco」(気候変動枠組条約関連会議でCANが発行するニュースレター)の日本語版を発行して(12ページ参照)、政府間交渉にも働きかけていきたい。発展途上国のNGOから60人程度招待する準備も進めています。
 これまで気候フォーラムには約120の団体が参加し、それぞれの力を発揮し合う基礎が築かれてきました。私たちのスタンスを明らかにするため、4カ月かけて「気候フォーラムの主張」をまとめました。日本政府の姿勢は、温室効果ガスを削減する議定書をつくるかどうかもまだ明確でないため、もっと積極的な立場に立つように私たちが働きかけていかなくてはならないと思います。
幸田 日本のNGOは欧米に比べて専門家が少ないことが指摘されています。これからの時代の市民活動にはスペシャリストの参加はきわめて重要だと思うのですが。
浅岡 気候フォーラムには学者などを含めいろいろな専門家も参加してくださっています。また、青年会議所や農協も参加しています。環境問題に取り組んできた団体だけでなく、女性問題や社会問題に取り組む市民団体なども幅広く受け入れています。国民一人ひとりが考えなくてはならない課題ですから。
幸田 気候フォーラムの事務局長として国民に訴えたいことは何でしょうか。
浅岡 自分自身、勉強してみて温暖化問題の重要性や緊急性を実感しました。今のままの産業構造や生活スタイルを続ければ、来世紀の前半にも取り返しがつかない所に足を踏み込んでしまうでしょう。そうならないために早く対策をとらなくてはなりません。問題の重要性と緊急性を皆が共有していかなくてはならない。国民全体の理解を得るためには早い段階から十分に情報を開示し、問題の深刻さを明らかにし、ともに対策を考えることが必要です。政府が国民のために政策をつくるということではなく、これからの政策は国民とともに形成していくべきものです。
幸田 参加というのは私たち国民も決断をともにするということですから責任を共有することになりますね。
浅岡 温暖化防止対策は政府に「よろしくお願いします」という課題ではありません。例えば、ある日突然エネルギーの使用制限がなされたら、罰則が決められても国民は納得できませんし、国民の立場からも事業者の立場も、必要性を納得しながら実践していくのでなければ、本当の意味の履行はできないと思います。
また、京都会議までの経過は政策決定プロセスへの市民参加の実現や制度的保障の確立のための学習場とも言えるものです。私は個人的にこのことを大変重要だと思っています。これからは、市民の生活にかかわるありとあらゆる政策決定が政治家が決めるのでも、一部の行政官が決めるのでもなく、一人ひとりの市民の判断が積み重ねられたものとなっていく必要があります。
 将来世代のために気候変動防止の対策を強化する必要があり、そのために今この機会を活用すべきです。それに日本が今後の国際社会の中で名誉ある役割を果たしていくために、京都会議で自国の目先の利益だけを考えたと評価されることは避けなければならない。最終的にそう評価されたなら日本が失うものは非常に大きいと思います。
幸田 「日本がまとまらないから京都会議は成功しなかった」ということにならないとも限りません。
浅岡 行政の中には、「世界の国々がまとまらないから仕方がない」という理由を挙げようと考えているところもあります。けれども海外の国々の方がもっとしたたかかもしれません。国際社会にリーダーシップがないということを示すことになります。
 最も重要なのは日本政府のスタンスです。私たち一人ひとりの意思と行動も問われています。
幸田 通産省は日本のCO2の排出量は2030年に初めて1990年レベルに戻ると試算しています。今ある原発に加え50基程度新設して達成されると言っています。
浅岡 2030年まで削減できないという立場でCOP3を迎えるのであれば、議長国を返上した方がいいでしょう。世界に対して責任を負えないからです。私たちは通産省とも話し合っていますが、国民の認識が低いから削減政策を出せないし、削減できないというものです。けれど国民に十分訴えてはいません。できるかできないかを議論しているうちに、地球温暖化はますます進行する。CO2削減社会に変えなければならないとの認識から出発すべきです。目先の現実にとらわれるのではなく、理想や倫理といった目標を持つべきです。
幸田 心の機軸となるような価値観が見えないということでしょうか。
浅岡 日本人はこれまで一生懸命働いてきましたが、何のために働くのかが提示されてこなかった。しかしその結果、子供の世代を不幸にしているのではないかということに気づき始めてはいる。30年後の世代と話し合いをする必要がある問題に、自分たちが引き起こした問題を押しつけていいのでしょうか。人間社会が起こしたことですから、人間が本気になってしなければそのほかに解決する手段はないのですから。

インタビューを終えて

今、地球の温暖化をめぐって、私たちは価値観を明確にすることが急がれています。12月の温暖化防止京都会議に向けて、日本政府の腰がいまだに定まらない現状をみると、つくづくその必要性を感じます。この会議に必要な2000年以降のCO2などの排出見通しを、各国が提出しなければならないにもかかわらず、4月中旬の期限を過ぎた現在(6月1日)にいたっても、議長国の日本は提出していません。それは政府内で、見通しについて「これ以上減らせない」「いや減らせる」との対立が続き、合意できないでいるからです。その背景には、通産省と環境庁を中心とする価値観の対立があります。リーダーシップ論の権威、ロナルド・ハイフェッツ氏はこう言っています。「価値観が異なれば、現実の中から異なる情報を拾い、その事実を組み立てて、異なる絵を描く。それぞれに見える事実の側面は、何を大事にするかによって著しく異なるのである」私たちは、未来を左右するこれほど重大な問題をただ傍観者として見過ごすわけにはいきません。市民の立場からも、私たちの社会にとって何が最も大切なのかを見極める必要があるのではないでしょうか。気候フォーラムの活動の意義はそこにあると思いました。(幸田シャーミン)


温暖化防止をめぐるドイツと日本の政策比較

1990年6月
ドイツ全政党と科学者の会議による「総排出量を30%削減」との勧告をうけ「2005年までに87年レベルの25〜30%削減」と政府発表

1990年8月
IPCC第1次報告書

1990年10月
日本政府「地球温暖化防止行動計画」策定「1人当たり排出量を2000年以降90年レベルに安定化、総排出量は2000年以降革新的技術開発が早期に進展した場合に削減」

1992年5月
気候変動枠組条約採択「2000年までに1990年レベルに戻す」

1994年6月
日本政府、行動計画に基づく長期エネルギー需給見通し

1995年3月
COP1ドイツベルリンにて開催
ドイツ政府発表「2005年までに90年レベルの25%削減」

「気候フォーラム10の主張」
具体的数値を挙げそれぞれの分野の目標を示している。
1.条約・議定書
2.日本市民の自覚と行動
3.エネルギー政策
4.運輸
5.税財政改革
6.企業
7.森林・農林水産業
8.南北問題
9.情報公開・市民参加
10.まちづくり



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