第38回 ホセ マリア フィゲーレス(Jose Maria Figueres)さん 前コスタリカ大統領
<プロフィール>
1954年、コスタリカ大統領ホセ・フィゲーレス氏の息子として生まれる。米国ウェストポイントの米国陸軍士官学校で生産工学を学ぶ。 88年にはオスカル・アリアス政権下で外国通商大臣や農業大臣などを歴任した後、再び米国ハーバード大学ジョン・F・ケネディスクールで公共行政学修士号を取得。94年コスタリカ大統領に就任。 自然・環境との連帯を基本に、税制、金融・保険、年金制度などの分野で改革を行った。持続可能な開発を実践する国としてコスタリカを世界に知らしめた。 現在は、コスタリカの持続可能な開発財団の会長として人びとの生活質の向上を目指し、持続可能な開発、環境問題、そして情報技術の三つのテーマに取り組んでいる。


平和、民主主義、安定 そして持続可能な発展

幸田 大統領として、他の国とは異なる発展の道を歩むことを選択されましたが、当時のコスタリカの状況はどのようなものだったのでしょうか。
フィゲーレス 冷戦時代の50年間、コスタリカは比較的成功した国でした。1948年の革命後、憲法で軍隊を廃止して以来、われわれは健康、教育、通信、インフラなどに投資することにより、現在の生活の質と開発の可能性を享受することができたのです。
 冷戦の終結は、ラテンアメリカ全体に三つの重要な転換を生み出しました。政治的には民主主義へ、経済的には市場経済へ、社会的には生命・人権尊重への流れです。
 グローバリゼーションの進む世界経済の中で、コスタリカが引き続き成功し続けるためには、新たな優位性を確立しなくてはならないということが、私の政権の発足当初から明らかでした。
 冷戦後のグローバル経済では小国であることが、むしろ素晴らしいことになった。小さい方がすばやく、柔軟に動け、チャンスを生かせるのです。私たちは「開発・発展」のパラダイムを「持続可能な開発・発展」に転換することを決めたのです。
幸田 それはいつだったのですか。
フィゲーレス 94年5月9日、私の政権発足の初日に、国際フォーラムを開催し、国民のさまざまな分野のオピニオンリーダーを招き、発展を持続可能な方向に転換させることを公表したのです。 4年の間、経済、教育や健康、環境のあらゆる分野を通してこのことに力を注ぎました。
 もちろん、簡単ではありませんでした。人間は変化を嫌うものです。現状を維持する方が楽ですから。けれど収穫を得るためには種をまかなければなりません。新たな千年の始まりを前にして種をまく時期だったのです。
幸田 どのようにして国民の支持を獲得していったのですか。
フィゲーレス 多くの場合、国民からの支援は得られませんでした。国民にとって理解することが難しかったのです。例えば、われわれは新しい森林保護法に15%の化石燃料税を導入しました。すると人びとはいやがりました。なぜガソリンやディーゼルにかかる税金が、植林や環境 関連の事業に使われるのかを理解してもらうのがとても難しかったのです。しかし、この税制を導入してから2年後には、コスタリカ国民の血中の鉛濃度が驚くほど下がったことが統計上明らかになりました。化石燃料税についての国民の考え方が変わり始めたのです。
 政治家にとって、持続可能な方向にパラダイムシフトを図ることは、票を増やすことには直接つながらない。しかし、国民によって選ばれて公職についている人は、票のために行動するのではなく、ベストをつくすために行動すべきだと、私は考えます。
幸田 化石燃料税には産業界から強い反対があったのではないですか。
フィゲーレス 私は産業界に対して、将来のコスタリカの製品や輸出品、つまり、彼らの製品への投資になるのだと説明しました。私の大統領時代に始めたプログラムに「グリーンシール」があります。今後5年から10年の間に実現したいと考えているのは、先進的 な環境政策をとっているコスタリカという国のイメージと重なるような高品質の商品ブランドを、すべての輸出製品分野ごとに作っていくことです。
幸田 フィゲーレスさんのアイデアだったのですね。このような重要な一連の政策は具体的にいつ実施されたのですか。例えば化石燃料税はいつ頃でしたか。
フィゲーレス 政権についてからすぐ議会に法案を提出し、14〜15ヵ月後に承認されたと思います。
幸田 一番初めに導入なさった環境政策は何でしたか。
フィゲーレス エネルギー開発を再生可能な方向に持っていこうという政策です。再生可能でない製造施設への投資をせず、同時に、エネルギーのデマンド・サイド・マネジメント(需要サイドの管理)の導入で、最大需要時のピークを下げようというものです。
幸田「再生可能」とは具体的に何を意味するのですか。
フィゲーレス 水力、地熱、風力です。日本の機械や専門家に長年お世話になり、わが国にとてもいい結果をもたらしてくれました。
幸田 持続可能な発展をどう定義なさいますか。
フィゲーレス 私の定義は次の通りです。第一に短期的な優先順位にまつわる意思決定プロセスが、中長期的な国や社会の目標に反したものにならないように調整することです。 第二に、健全なマクロ経済バランスと戦略的な健康や教育への投資に、同じ重要性を持たせて、その双方を結びつけること。 第三に自然と共生する関係を構築することです。天然資源を無駄なく活用し、将来の世代のためにも保全するということです。

新しい世代の教育

幸田 大統領に就任されたのは何歳の時でしたか。
フィゲーレス 就任したときには39歳でした。
幸田 なんて若い大統領でしょう。 あなたはコスタリカに大きな変化をもたらしました。 コスタリカは小さい国かもしれませんが、こうした変化をもたらすのは決して簡単ではなかったはずです。
フィゲーレス 私がもたらした変化は文化に関わるもので、実行するのは最も難しいものです。私にとってもやりがいのあることでした。今でも国内各地に出向いて、人びとに話をしています。 いくつかの対策が成果を上げつつあります。例えば、この20年で初めて、今年の1月から毎月、貿易統計で黒字が出ています。コスタリカはハイテク投資にとって魅力ある国になっています。 その理由は、コスタリカが民主主義の根づいた伝統を持つ小さい国だということ、そして一番重要なのは持続可能な発展という政策を持つ競争力のある国だということです。
幸田 私はバイオリタラシー(bio-literacy)というアイデアに興味を持ちました。
フィゲーレス コスタリカで実践した変革の一つは教育プログラムの改革です。現代においては「識字」という言葉は単に読み書きができるということだけではおさまりません。 将来は、少なくとも2カ国語をあやつれること、コンピューターを使いこなせること、バイオリタラシー(自然や環境についての理解や知識)を修了していることが必要になる。
 そこでコスタリカでは、通学日数を165日から200日に増やし、第二外国語の授業を小学1年生から取り入れました。公立の学校すべてにコンピューターラボを設置しました。 これは初等教育を受ける子供の50%をカバーする数字です。
 バイオリタラシーとは、小学1年から、教育のプロセスと環境や天然資源に関する知識を結びつけるという意味です。持続可能な発展が文化的変化以外のなにものでもないとすれば、新世代がこの新しい文化を理解した大人になることが必要です。 それは学校から始まります。なぜなら親である私たちの世代は持続可能性ということについてあまり熟練していないからです。 私たちは多くの方法で取り組んでいます。例えば1年に2週間、国をあげて小学校から高校生まですべての学年に環境に関する宿題が出されています。
幸田 カーボンファンド(carbon fund)についてのあなたのお考えはとても興味深いのですが、お話いただけますか。
フィゲーレス 水力発電所を建設すれば、その分だけ火力発電所に頼らなくて済むことになります。新しいプロジェクトに化石燃料でなく水力を使えば、排出される二酸化炭素量を少なくできるのです。 このように環境サービスは地球の役に立っているのだから、きちんとしたコスト計算に基づいてお金が支払われるべきです。そのメカニズムを創出する方法の一つとして、コスタリカとアース・カウンシルが考えた新しい仕組みが、 Certified Tradable Offset(CTO=認証された排出権取引)なのです。
幸田 米国がすでに導入している排出権取引の制度と似たものですか。
フィゲーレス  CTOは国際市場を創設しようというものです。98年4月のウォールストリートジャーナルに広告が出ていましたが、スイスのSGSがコスタリカですでに導入済みのさまざまな事業によって100万tの炭素を固定したことを認証し、その金融債券を売り出すという広告でした。 この認証された権利を公開市場で売ろうというアイデアです。例えば電力会社などの公益企業などが買う可能性は高いでしょう。これらの公益企業の汚染を伴う事業を助けるのではなく、逆に、社会全体にとってより経済的な方法で二酸化炭素の固定をしているのです。
幸田 値段はどのようにつくのですか。
フィゲーレス 市場の売り買いで値段がつきます。世界銀行によれば1tにつき10〜20USドルで取引されるということです。
幸田 ありがとうございます。 
(1999年6月5日東京都内にてインタビュー)

インタービューを終えて
 
 リーダーシップの大切さ。それがフィゲーレス前大統領とお話しして、最も強く感じたことです。
 コスタリカは、開発途上国に属していますが、導入している環境政策は、とても進んでいると思いました。
 国の大小や経済の規模などの条件によって、方向転換の難しさは異なるかもしれません。しかし、人びとの考え方や行動に変化をもたらすためには、リーダーシップが不可欠だということには、先進国、開発途上国の違いはないように思います、 フィゲーレスさんは、そのブレーンを世界から集めて排出税やカーボンファンド(carbon fund)などの大胆な政策の導入にチャレンジしました。
 自分たちはどのような方向に進んでいくべきなのか。そのためにはどのような対応が有効なのか。大統領の職を退いた今も、国民に熱く語り続けるフィゲーレスさん。リーダーとしての強い使命感が私の心に伝わってきました。
(幸田 シャーミン)



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