第40回 広瀬 敏通(ひろせ としみち)さん(ホールアース自然学校代表)
<プロフィール>
1950年東京生まれ。環境教育の草分け的存在である「ホールアース自然学校」代表。大学時代に、インドへ渡る。障害者の村づくりに関わるが、インド政府の突然の方針転換で帰国を余儀なくされる。再びアジアに戻り、カンボジアで難民支援の国際協力活動に取り組んだあと、30歳のとき日本へ帰国。富士山のふもとの「動物農場」で自給自足の生活を始める。ヤギ、羊、馬、牛などの家畜動物とのふれあい、ロッククライミング、洞窟探検などを通じて、自然とのつきあい方=「自然語」を伝えている。最近の著作に『自然語で話そう〜ホールアース自然学校の12ヵ月』(小学館、1999年)など。


地球上のすべてのものとの関係を
感じとる感性―自然語を学び直そう
東京っ子がアジア放浪で得たもの

幸田 アジアを放浪なさった経験をもとに、日本で環境教育を始められたきっかけを教えてください。
広瀬 インドに行ったのもその後アジアで生活をしたのも、明確な目的意識があったと、かっこ良く言いたいのですが、実際にはそのときどきに自分が感じたままをストレートに行動に現していただけです。
 アジアには、とてもなつかしい暮らしがありました。少なくともぼくが暮らした四半世紀前には。ぼくは東京生まれの七代目で、チャキチャキの東京っ子です。ですが、生まれ育った吉祥寺ではまだ、畑も空き地もいっぱいあって、悪ガキ集団が走り回っているような環境だったのですが、そんな風景をほうふつとさせるような世界がアジアにはあったんです。どの国でもものすごい田舎に暮らしてきましたが、初めに行った南インドでは、古き良き時代の日本のような人情や、いたわりあいが生きていたんですね。荷物や財布を落としてもかならず戻ってくるんです。「これはヒロセのだ」といって届けてくれるんですね。
 そうしたやさしさが当たり前だった世界から日本に帰ってきて、もう東京に暮らしたいとはまったく思いませんでした。
 地平線の見える大地で開拓できるところはないかと探して行きついたのがこの富士山麓です。芝川町にたまたま、現在「動物農場」(ホールアース自然学校の前身)と呼んでいる場所が手に入って最初は自給自足で、鶏やヤギを飼い始めました。
 にわか百姓だと、一生懸命働くときは波に乗っているんですが、一段落して収穫を待つようになると空いた時間をじっと待っているというのができないんですよ。
 そこで、朝霧高原で牧場を始めました。ここで、子供たちに家畜の世話や牧場の生活を体験させる仕組みをつくっていくうちに、自然学校という方向に向き始めて、ついに1987年、農場をやめて自然学校を始めました。
幸田 当時から「環境教育」という意識を持っておられたのですか。
広瀬 「環境教育」という言葉に出会ったときに、自分がやってきたことは「環境教育」だったんだとわかったんです。当時はNPO(法人)というものはなかったんで、会社登録をするときの定款に「環境教育を普及する目的」と書いたんです。そしたら法務局で突き返されてしまって「会社の目的にそぐわないから駄目です」って言われてしまいました。
 でも、畜産とか、アウトドアスクール業とかって書きたくなかったんです。そんな要素もあるけれど、ぼくのやっているのは「環境教育」なんだって思っていましたからね。
 この言葉以外に表現しようがないということで何回も交渉して、結局、富士の法務局で初めて「環境教育」が定款に入った会社登録が通りました。
幸田 どんな子供たちがやってくるのですか。
広瀬 できるだけ多くの子供たちに自然での体験の機会を持ってもらいたいと考えています。そこで目的意識を持っている子供たちだけを対象にしたのでは、非常に絞られてしまって限られた子供たちだけしか対象にできない。そのために学校団体の自然教室に目をつけてやり始めたのが、94〜95年ごろです。当時は1年に数校という規模でした。それが、いつのまにか学校団体向けの自然教室では、ホールアースというのが代名詞といわれるくらいになりました。94年からは日本国内で、学校団体の受け入れ数では第1位を保っています。昨年は3万人。今年は3万数千人になります。
幸田 スタッフは何人くらいですか。
広瀬 常勤で15人いますが、それだけでは足りません。
幸田 相手の子供たちは、一度に何人くらいですか。
広瀬 学校は学年単位で来ますので、100人の場合もあれば300人の学校もあります。
幸田 自然に触れ合うというか語り合うような経験の少ない子供たちが増えているのでしょうね。
広瀬 子供たちからは、いっぱい手紙がきますが、彼らは自分が来たくて来たわけではありません。学校の教室だから来たんです。
 ひところ、環境関係のワークショップのどこに行っても同じ顔ぶれにしか会わないことが続きました。僕は非常に疑問を感じました。そうではなくて、「こんなこと初めてやった」「こんな考え方、こんな自然の見方、初めて出会った」という人たちばかりを相手にしたいと思ったんです。
 学校団体の生徒というのは、自分から来たわけではないけれど、体験を通して自分が新しい世界と出会ったという感動を、手紙で伝えてくれるんです。とくにおもしろいのは、荒れている中学校などから実際にやってくる子供たちは、髪の毛が赤や黄色で、服装も変わった子で、教師の言うこともまったく聞きません。オリエンテーションなどはまったく聞かない。ところが、フィールドに入っていくと、どんどん列を無視して前の方に出てきて、ほかの子そっちのけで、プログラムにのめりこんでしまう。彼らにとっては、学校の生活ではまったく味わったことのない、夢中になれるものに初めて出会ったんですね。「おっちゃん、おっちゃん、俺こういうこと大好き」、「おっちゃん、俺こういう仕事をしたい」と言ったりして。そういう子供たちが、学校にいるときとはまったく違う目の輝きを持っているということが、プログラムをやっていると感じられます。


命の尊さ

幸田 リスクマネジメントは自分の身を守るだけのものではないですね。
広瀬 サバイバル学習というのは、あらゆるものが生き残るために必要なことです。うちでは、毎年12月に「謝肉の日」をやっています。謝肉の日と呼んでいるのは、お祭りとはどうしてもわれわれの中では思えない。自分たちで飼っている動物たちのオスがたくさん増えると、翌年から誰かが毎日血だらけになるような状況になってしまうので、処分して食べる対象になります。僕は自分で全部やろうと思って、やり始めたのが十数年前。いくらやり続けても慣れない。ものとして扱えない。彼がここまで何百日も幸せに暮らしてきたこと、自分が世話をしていた、あるいは世話をするのを横で見てきた。命あるものであり、意識のあるものだから、心が通うものです。彼らは種族の運命として肉になる。その肉になる過程を人に任せるのではなくて、自分で肉にするのが、彼らに対する礼儀だと思って続けているんだけれど、それがお祭りとしてはどうしても祝う気持ちにはなれない。どうしても気持ちの上では「祭」にはならないんですよ。
幸田 子供たちの反応はどうですか?
広瀬 子供たちはプログラムに、鶏を自ら処分して食べるというのが入っているとわかっているので、男の子たちを中心に「(殺すのは)こいつだー」と追いかけ回したりする。子供の自然な反応は本来残酷なものです。2日、3日経って、いよいよその日が近くなると、自己規制が始まってきて、追いかけたり棒で突ついたりしなくなる。そして、その瞬間には、全員が無言になる。終わった後には、はじけたように騒いだりおちゃらけを言ったりする子もいますが、それは、その瞬間無言だったということを通り過ぎているので、心に染みていることがわかります。
 われわれが食べているものはすべて命です。植物も動物もすべての命に対して等しく、人間と並列の命と見ています。その中では、自分が食べている食べていないにかかわらず、自分が生き抜くためには命が命を食べることは避けては通れない。あらゆる生き物が命を食べている。そういうことをきちんと知っている民族というのは世界に古代からあった。なんとなくこの時代になってから、命を食べているという認識が希薄になってしまった。
幸田 今はスーパーマーケットで牛乳をつくっていると思って、本物の牛の乳を飲んで「そんなに悪くないよ。本物に近いよ」と幼稚園児が言ったなどというのを耳にします。どっちが本物かわからない。
広瀬 深刻な状況です。魚は切り身で泳いでいると思っている子もいます。金魚は学校で飼っていて知っているけれど、食べている魚の切り身とは結びつかない。自分が食べさせられている魚と泳いでいる魚とはどうしても結びつかない。想像力が恐ろしく貧困になっているのが今の時代。
 そこで、動物と人間の関係を感じ取る感性、「自然語」を取り戻すことが必要になる。地球上のすべてのものとの関係を感じ取る感性をもう一度学び直す活動を、僕らは続けてきた。そしてこれからも続けていきたいと思っています。例えば、鶏であれば脚をつけたまま、生きている状態の想像できるような形で日ごろ食べている経験があって、さらに生きている動物に自分の身近で触れる体験があれば、子供の想像力はそれほど捨てたものではないから結びつくはずです。


戦争の経験を語ることの大切さ

幸田 日本の子供たちに自然教室を通して伝えていきたいことは?
広瀬 僕自身は日本で戦争を経験したことはないけれど、アジアで暮らしていた時代にいろいろなところで戦争を見たり、聞いたりした経験があります。日本が戦争中に、インド向けだったビルマの米を買い占めて、あげくのはてにはインドからも米を買い占めた。そのためにインド国内では200万人の命が失われたそうです。被害者である彼らはそういう戦争の体験を語り継いでいる。また、難民キャンプで、戦争でドンパチやった人たちの間で暮らしたことや、アフガニスタンやイランで市街戦が行われた中で暮らしたこと。イランではパーレビ国王とホメイニ師の間の戦争があった70年代に、テヘランでもメシェットでも街のおやじさんたちは二人の写真をならべて飾っている。ホメイニ派が来ると、パーレビさんの写真を隠して、パーレビ派が来るとホメイニさんの写真を隠す。シルクロードの民の知恵です。そうやって、戦争や動乱の時代を生き抜いてきた人たちがいて、そういう場で生き抜くということはそんな風なことをやることもあるんだよということを目の当たりにした。僕自身は空襲や戦場の経験は持っていないけれど、戦争というものを自分の知っている限りは子供たちに話していきたい。


人間語に閉じこもらず自然語を話そう

幸田 これから何をなさっていきたいですか。
広瀬 各地に自然学校を創ることはすでに始めていますが、自分の公的な役割の一つだと思っています。内心では、のんきに動物を飼いながら動物語や自然語をしゃべって暮らしたいなと思ったりもしますが、それはなかなか叶いそうにありませんね。
 一つ思うのは、動物と付き合っていて、彼らには悪意がないということです。
 獣だからというよりも、実はこの地上に生まれたものはみんな悪意などなかったのではないかなと思うのです。人間が悪意を持った動物だとすると、いったいどこで持ち始めてしまったのか。最近話題の『1万年の旅路』という本があります。ネイティブアメリカンの十数万年にわたる口承の歴史を書き記した驚くべき本ですが、ここでは古代の人間たちは一世代どころか千年にも及ぶ単位で物事を考えていたことが随所に出てきます。
 天変地異やトラブルとの遭遇などで悩んだり、戸惑ったりする生々しいエピソードが語り継がれているなかで、「悪意」というものがないことにぼくは気がついたんです。
 たびたびの困難で落ち込むんだけれど、そのたび気を持ちなおして「これぞわれらの智恵として後世に語り継ごう」と誓いあいます。
 人間の本質は動物たちと同じに、悪意のない姿で生まれてきたと思うのです。
 でも今の世界は、自分も含めて悪意にたっぷりと浸っています。
 どこでこうなっちゃったんだろうか。それは、人間が蓄えた智恵で人間語(言語)を獲得し、人間だけのコロニーを創っていったことに由来するんじゃないだろうかと思うんです。ほかの生きものが入る隙間のない人間だけの社会が人間の都合だけで環境を破壊してしまったんですね。今はたびたび絶望が社会をおびやかしています。
 でも絶望からは何も生まれないし、未来も創れないんです。
 人間語の世界に閉じこもらないで、自然語で話し、世界のバランスを取ること、そして絶望ではなく、明るい未来のイメージを子供たちに語ること。子供たちに、皆で知恵と力を合わせればきっと良くなるよと繰り返し語れば、子供は未来に絶望したりしなくなると思います。大人の役割は絶対に絶望しないことなんです。
(1999年9月18〜19日ホールアース自然学校にて取材)

インタビューを終えて
 
 岩の高さは3mほどでしょうか。見上げると、それなりに凸凹があり、なんとか登れそうにも思えたのですが、初体験のロッククライミングは想像以上に難物でした。
 ハーネスとロープを頼りに登り始めたのですが、岩の表面は思ったよりつるつるしていて、足や手をかけたりするところが見つからなくなり、落ちる恐怖心から足の筋肉がこわばって身動きが取れません。
 それでも、なんとか第一ラウンドは登り切ったのですが、次のより垂直な岩を前に「これは私には無理だわ」と思わず声に出してしまいました。そのとき、そばにいた若い男性がこう言ってくれたのです。
 「シャーミンさん、できますよ。プラス思考で行きましょう」
 その言葉に後押しされたように、まったく不可能と思っていた岩を、頂上の一歩手前まで、登ることができたのです。
 私は前夜、広瀬さんがメンバー全員との団らんのひとときに、話してくれた言葉を思い出しました。
 「自分は誰に似ているかと言われたら、ヤギと応えます。動物の中でもヤギが一番好きだ。リードされるのを待って群で動く羊と違って、ヤギは独りでも前に進むことができる。本当にプラス思考なんですよ」
 彼のメッセージは、私だけでなく、ホールアースの体験学習に参加した一人ひとりの心に、響きわたったのではないでしょうか。 (幸田 シャーミン)



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