地球・人間環境フォーラム設立10周年記念パネルディスカッション
「21世紀人類は生き残れるか」
パネリスト:後藤康男さん、堂本暁子さん、森島昭夫さん
コーディネーター:幸田 シャーミン
<プロフィール>
後藤 康男さん
安田火災海上保険名誉会長、経団連自然保護協議会特別顧問、国際善隣協会理事長、1998年国連グローバル500賞受賞 。「いま、われわれがしなければならないのは、『資源は有限で、地球は劣化する』という新しい認識を共有することである。自然を環境破壊から救うためには、経済システムの変換、技術革新とともに、われわれの生活習慣を変える意識の転換が必要である。そのためには、仏教、儒教、道教、日本の神道が融合された東方思想の見直しが求められているのではないだろうか」(『東洋思想と新しい世紀』、有斐閣、1999年7月)
堂本 暁子さん
参議院議員、GLOBE(地球環境国際議員連盟)世界総裁、IUCN(世界自然保護連合)副会長、TBS(東京放送)ディレクターから1989年に参議院選に立候補 。「気候変動と日本の生態系に関する、大規模で、長期的な調査研究が展開されなければならない。数百億という桁の予算を計上してでも総合的調査研究を実施し、正確なデータと科学的な知見を得ることによってのみ、わが国の環境安全保障を確実なものとすることができる。同時に、それは次の世代に対しての責務でもある」(『温暖化に追われる生き物たち――生物多様性からの視点』、築地書館、1997年11月)
森島 昭夫さん
地球環境戦略研究機関理事長、1988年〜90年名古屋大学法学部長、96年より上智大学法学部教授、中央環境審議会会長 。「地球サミット以来、『持続可能な開発』はどこでも語られるようになったが、先進国は依然として大量消費、大量廃棄の社会構造を変えていないし、途上国もこれまで先進国がたどってきたのと同じ工業化への道を急いでいるように思われる。キーワードは示されたが、具体的にどういう状態が持続可能なのか、誰がどのようにすれば社会が持続可能になるのか、これに対する具体的な答えは世界のどこでもまだ用意されていない」(『21世紀の環境と新発展パターン』、中央法規、1999年11月)
幸田 シャーミン
ジャーナリスト、コメンテーター、聖心女子大学卒業、ハーバード大学John F. Kennedy School of Governmentで修士号取得、中央環境審議会委員 。「例えば、廃棄物の排出抑制のための施策がまだ不十分だと思います。これは環境庁だけでできるわけではなく、他省庁との連携が必要になる。同じように、経済的手法が環境問題に対して現時点ではほとんど取られていないという点も、環境庁だけでは変えられない。他省庁への働きかけや他省庁とのパートナーシップにより一層力を入れ、関係業界や他省庁の理解や協力を得る必要があります」(『グローバルネット』2000年1月号)
地球の限界を認識しない人びと

幸田 近藤会長より「21世紀・人類は生き残れるか」という示唆に富んだ、ユーモアのあるご講演をいただきました。人類が破局に至らないシナリオもお示しいただき、個人的にも大変大きな刺激を受けました。
 ではまず最初に自己紹介も含めて、今、21世紀に向かって一番心配されていることは何か、そのためにこれまでどのようなことに取り組んでこられたのかについてお話しいただきたいと思います。
後藤 私が一番心配していることは地球の危機です。しかし、人間抜きには地球を考えられない。地球自体は100億年ぐらいの寿命があるそうです。そこで人間が「地球の危機」などというのはおこがましい。地球上の生物の絶滅の危機と読み替えなくてはいけないと思います。持続不可能な状況に突入しているということをしかと認識すべきです。地球の限界、つまり資源は有限であり、地球は劣化するということが現実のものなってきたということを承知すべきです。
 地球が危機に陥っているにもかかわらず、それを認識している人がすべてではありません。なぜ認識できないかというと、地球環境問題がまず経済問題だからです。人間の欲望は競争と対立を重ねながらますます肥大化している。2番目に、環境問題はグローバルでボーダーレスである。空に国境はない。一人ひとりが加害者であり、被害者である。3番目に静かに忍び寄る危機であるということ。気がついた時には手後れだという性格のものであるということを承知すべきである。結論から言うようなことになりますが、21世紀はさらに危機の状況が深刻化するでしょう。もっともっとひどい状況にならなければ、みなこぞって動かない。例えば、12〜17世紀に栄えた太平洋の孤島、イースター島では、空からも海からも何も入らないために結局は資源戦争をして、7,000人から111人に人口が減った。地球もまったく宇宙からは"孤島"であり、どこからも救援物資は来ないという同じ状況です。
 しかしながら、まったく悲観的かと言いますと、条件付き楽観論です。その条件は非常に難しい。これが私の言う「環境ビッグバン(環境革命)」です。個人も企業も国も適者生存はやむを得ない。人類60億人が一挙に全滅するわけではない。徐々に努力しないところから減っていき、いいところでバランスがとれて折り合いがつくのではないかと思っています。
環境ビッグバンに挑戦

後藤 こういう状況の中であってもわれわれは生きている限りは努力しなくてはならないと思っています。1992年のリオサミット(国連環境開発会議、地球サミット)に行って環境問題で目からうろこが落ちた。その後、設立された経団連自然保護基金の運営協議会会長を3期6年務め、23カ国91のプロジェクト、約8億3,000万円を主に途上国の自然保護のために支援してきました。経団連自然保護基金はIUCN(世界自然保護連合)に96年に加盟しました。また、安田火災は市民のための環境公開講座を93年に開講、98年には「人と自然に優しい企業」を目指すとして企業戦略に地球環境という視点を入れました。翌99年4月には安田火災環境財団をつくりました。また私は国際善隣協会の理事長として中国・重慶市の大気汚染の改善に取り組んだり、自然保護をはじめとする団体の理事も務めています。
幸田 イースター島の衰退の話を聞きますと進化の話を思い出します。変化に適応できずに消えていってしまった種がどれだけあるかということですね。私たちも、時代の要請にしっかりと対応し、適応していくことが今、求められているのだと思います。
 続いて政界における環境保全、とりわけ生物多様性の保全の第一人者でいらっしゃる堂本さんです。今、地球の温暖化をはじめ人間によるさまざまな活動は、生物が適応できる限界を越えて環境を変化させているわけですが、堂本さんは地球の現状をどのように認識なさっていますか。
人工的に起きる環境変化

堂本 私たち毎日なにげなく生活していますが、時には地球規模でものごとを考えてみることも大事なのではないでしょうか。私の場合、そのきっかけとなったのは生物多様性でした。この言葉をご存知の方もご存知でない方もいらっしゃると思いますが、私は10年前、初めてワシントンでGLOBE(地球環境国際議員連盟)の会議に出て、当時米国上院議員だったアル・ゴアさんに「アキコ、あなたは温暖化の問題をやる、それともBiodiversityの問題をやる、それともゴミの問題をやる?」と聞かれました。その時に初めて英語の「Biodiversity」、日本語では「生物多様性」という言葉を知り、以来、生物多様性の視点でものを見るようになりました。
 そして40億年前にこの地球に生命が誕生してからの延長線上に私たち人間すべてがいるのだと考えるようになりました。この40億年の間、進化と絶滅を繰り返し、一刻たりともとまることなく、生物は生き続けてきました。気候あるいは地球の成長との関係でいろいろな順化・変化を続けてきたのです。が、今私たちが直面している危機というのは、地球の変化のスピードが人工的に起こっているということなのです。現在は、変化のスピードが速く、30年とか40年の間に種が絶滅しているのです。
 もう一つ大事なことは、ありとあらゆる種がお互いに関連しているということです。例えば、暖かいために蝶が花の咲く前に飛んできてしまい、受粉できない植物が数限りなくあるなど、自然の仕組みが壊れているにもかかわらず、そういった状況に私たちが置かれていることがなかなか認識できていません。
 IUCNで仕事をし始めて私が思ったことは、日本は公害防止や開発のための先端技術については非常に進んだ国でありますが、その逆の、いわゆるグリーンと言われる部分の自然をどう保全していくのかということについてはいささか後進的だったのではないかということです。しかしそれは日本だけではありません。地球上に住む一人ひとりが40億年単位で地球のことを考えてはおらず、お昼何を食べようかなとか、明日は何を着ようかなということを考えながら、日々生活をしている。実際は40億年の最先端の今日、そして今という瞬間にもこの地球はとても危機的な方向に向かっている、お互いに関連し合っているその関連性がぷつぷつと切れ、いつかその網全体がほぐれて、崩れてしまうような危険な状態を迎えているのです。私たちは、近藤会長がおっしゃったような「生き方は無為に、知恵の出し方は有為に」、つまり自然と開発のバランスをきちんと取っていく必要があるのではないかと思いました。
幸田 地球の変化のスピードが人工的になってきているというお話、強い印象を受けました。
 来年は環境庁が環境省になり、循環型社会形成推進基本法も成立するなど環境行政において重要な動きが出てきています。とくに環境基本計画の見直しでは森島さんは企画政策部会の部会長として深く関わっていらっしゃいます。日本を含めた先進国の取り組みの現状などについてのお考えをお聞かせいただけますか。
温暖化は21世紀最大の問題

森島 私は法律家ですが、公害問題に携わったのは60年代からです。日本で、水俣や四日市など、環境問題というより産業公害による人身被害が起きた時代です。私のもともとの専門は、公害被害者の救済をするための法律上の根拠となる損害法です。やがて公害裁判によって被害者が一定の範囲での救済を受け、他方で公害問題の質もだんだんと変わり、公害が終わったという時期がありました。が、実際には自動車による大気汚染や水質汚濁などの都市公害が起きており、80年代の終わりになると地球環境問題が出てきます。私は、公害から地球環境へと広がっていった環境問題を法律の側面から追っかけてきました。
 現在私が21世紀にかけて最大の問題と思っているのは、温暖化の問題です。すべての地球環境問題が温暖化を中核につながっています。しかも温暖化は人間の経済活動や日常の生活が原因です。私の専門でもある法律や政策を、温暖化に対応するためにどう組み立てていくかが非常に重要です。しかしながら、先ほど後藤さんがおっしゃいましたように、温暖化は経済問題であり、エネルギー問題でもあります。公害問題の場合には、大きな工場から出る例えば水銀といった物質をコントロールすることでかなりの程度対応できます。
 しかし、温暖化の原因となっている二酸化炭素(CO2)の排出は経済活動全体に関わっており、それをコントロールするのは、社会のさまざまな利害に関わっていきます。しかも温暖化という現象は短期的には見ることはできません。多くの人は「まだまだ温暖化というのは一部の人が騒いでいるだけではないか、それよりも自動車に乗ったり、クーラーをかけたりする方がいい」と思っているでしょう。一般の人は、故意か過失かあるいはまったくの無知かわかりませんが、まだまだ関心を持っていないように思います。
 そこで日頃から若い人たちに「このままにしておくと、私ども年寄りはそのうち死んでしまうが、まさにあなた方の時代に問題が深刻化するのですよ」と話しています。認識しなければ行動しないわけですから。ライフスタイルを見直そうとお題目を唱えながら現実には大量消費の生活にどっぷりとつかっている、とりわけ若い人にどのようにして問題を理解してもらうかが重要です。
幸田 最近、国民の環境に対する関心は高まっているとは思うのですが、それでもパネラーの皆さんから示されているような危機意識というものを一般的に共有するところまでは、至っていないのではないでしょうか。
 IPCC(気候変動に関する政府間パネル)に関わった日本の研究者の報告によれば、温暖化によって海面が1m上昇すれば、日本では生態系の豊かな砂浜の90%が消失すると言われています。『温暖化に追われる生き物たち』の中で、堂本さんは環境安全保障という考え方から政府が本気で温暖化の影響についての調査研究を行うよう呼びかけていらっしゃいます。もう少し具体的にお話しいただけますでしょうか。
温暖化が生物に与える影響の調査が急務

堂本 近頃ようやく、温暖化は深刻な問題だととらえられるようになってきました。このような認識が形成されるまでには大変大きな政治の力が関与していたと思います。まず米国がカーター大統領の時代に調査を行い、そしてトロントで開かれたG7(先進国首脳7カ国会議)で、当時のレーガン大統領やミッテラン大統領、竹下総理など世界のリーダーが地球サミット開催の決断を下しました。そしてブルントラント・ノルウェー元首相を中心とした国連環境特別委員会が『われら共通の未来』という報告をまとめ、92年のリオの地球サミットへとつながっていったのです。その頃に比べ、今は地球規模のリーダーシップが発揮されていないという気がします。COP3(地球温暖化防止京都会議)の時にあれだけ日本が努力していながら、いまだに京都議定書が発効していないというのは問題です。
 私が調査をすべきだと思っていることは温暖化と生物多様性の関係についての調査です。と言うのはCOP3の時には、温室効果ガス削減の数値目標が議論の中心になり、生物多様性との関連についてはまったく議論されませんでした。これでいいのだろうか、温暖化は生物に影響がないのだろうかと考えました。
 そこで、植物学会の会長でいらした岩槻邦男さん(東京大学名誉教授)と協力して科学的な本ではなく、温暖化が生物多様性にどのような影響をもたらしているのかをエッセイ風に書いてもらいたいと、植物や動物、海洋生物などさまざまな専門家26人に執筆をお願いしました。岩槻さんは「今まで20世紀の日本の科学は非常に進んだが、それは物理科学的な手法を基本にした科学だった」と言っています。温暖化が生物に与える影響については物理科学的な手法では立証できず、立証できる時というのは、地球上の生物が絶滅した時でしかないのです。それでは遅すぎます。
 そして私たちは、『温暖化に追われる生き物たち』という本を出版しました。温暖化がいかに地球上にすむすべての生物に影響を与えているか、読んでいただくとすべてがわかります。COP3の時にはなんと3冊しか売れなかった。というのも、温暖化に興味がある人はあまり生物には興味がなく、学者も条約もこの2分野が完全に分離されてしまっているからです。生物多様性条約には温暖化のことは一言も書かれていませんし、気候変動枠組条約には「生態系に影響を与えないような」という前書きはありますが、それ以上は書かれていません。その両方が関連したところの調査をこれからやるべきではないかと声高に言っています。
 地球を守るためには、国も学者も行政も政治家も企業も、そして国連のレベルにおいても、新しい地球のガバナンス、地球の運営・経営が必要です。新しい世代は飛躍的に革命的に、後藤さんの言葉で言えば「環境革命」的に改革を行っていくことが求められています。そして市民一人ひとりがそういった問題意識を持ちながら毎日の生活を老子の言うように「無為自然」にやらないと地球は守れないと思っています。
幸田 次に森島さん、地球環境戦略研究機関(IGES)の研究活動の一つに新発展パターンというのがありますね。欧米や日本がたどってきた20世紀型の発展パターンでは地球は持たない、地球の限界を越えてしまうという認識はかなり広がってきていますが、森島さんは「世界はまだ新しい発展パターンを見出していない」と指摘されています。そこで、持続的な発展に向けて希望の見える兆しのようなものを紹介していただけますか。
分野横断的に模索すべき新発展パターン

森島 深刻化する地球環境問題に対して、アジアにある日本が、自然科学の知見の上に立って社会科学と人文科学の立場から、主としてアジアを対象とする政策的な研究を進め、国際的に貢献すべきだという提言のもとに、IGESが2年前に発足しました。地球環境問題については、十分とは言えないものの、自然科学の研究が積み重ねられてはいますが、政策につなぐ研究は十分ではありません。とりわけアジアを対象とする政策研究
にはみるべきものがありません。また現実の政策の上でも、森林、生物多様性、気候変動と、個別に政策がつくられています。
 これを、なんとか統合的・有機的に考えていきたいと考えて、IGESが研究を開始するにあたって五つのプロジェクトを考えました。気候変動、森林、都市環境管理、社会教育を含めた環境教育、これらを統合するプロジェクトとして環境ガバナンスというテーマを設けました。さらにこれら五つのプロジェクトを統合し、21世紀をどういう方向に向けていくのかという研究が必要だという観点から、新発展パターンというプロジェクトをつくりました。
 新発展パターンと言ってもそう簡単には結果が出るとは考えられませんが、とりあえずいろいろと議論をしてもらった結果を本に取りまとめたのが『21世紀の環境と新発展パターン』です。とりわけ私がおもしろく感じたのはインドの方が「求めずして満足をする」、「足るを知る」という発想を書いておられることです。しかしそういう思想を言っただけで、皆が「無為自然」になるかというとそうではない。
 21世紀にそうならなければならない方向性とそこに至るまでのメカニズム、一般の人が自然と「足るを知る」生活を送るようになる仕組みを考えなくてはいけません。環境教育は一つの重要な方法でしょうし、政府を含めた環境ガバナンスをどう組むかということも重要です。今まであまり注目されてこなかった、社会的な仕組みの中で人間行動をどう誘導するか、自然科学的な研究をもとに先に進むために対策や政策をたてていくにはどういう道具あるいは動機づけを使うのがいいのかを研究するのがIGESです。来年の3月に出るIGESの第一期研究報告を2002年の「リオ+10」会議に持っていき、日本からあるいはアジアからの政策提言ができればと考えています。
幸田 後藤さんはよくCSO(Civil Society Organization=市民社会組織)の重要性を指摘なさっています。「目覚めた市民が環境ビッグバンの主役になる」というお考えについてもう少し詳しくお話しいただけますか。
三つの大きな壁

後藤 環境ビッグバンの実現がなければだめだということをかねてから言っております。20世紀型の大量生産・大量消費・大量廃棄という一方通行型の経済システムはだめだと認めなくてはならない。21世紀は循環型経済社会を構築しなくてはならない。環境ビッグバンは不可能に近いくらいの挑戦です。これには大きな壁が三つ――技術の壁、制度の壁、意識の壁――があります。
 技術の壁は、最近各企業もある程度取り組んでいますが、「廃棄物」をゼロにするゼロエミッション、インバースマニュファクチャリングなどの取り組みです。できるだけ化石燃料を使わない、太陽光発電や風力・地熱などのクリーンエネルギーの取り組みもあります。これらは達成すること自体が大変ですが、どうしてもやらなくてはいけない。
 次に制度の壁は、人間の欲望はきりがないので、厳しい法規制と罰則が必要であるということです。例えば循環型社会形成推進基本法は基本法ですから、その下の各法律に罰則があると思いますが、罰則のないものはザル法であって、守られないと私は思っています。また、税制上のインセンティブや補助金などもうまく使えばいいでしょう。市場メカニズムを導入しなくてはいけない。いかに認識が共有化され、教育されてもなお行動できないというのは、先にすれば損だとか、競争に負けるということになってしまうからです。排出権取引を正規に認める、デポジット制度の導入なども考えられる。
 最も難しいのが意識の壁です。60億の人間がライフスタイルを転換するというところまでいかなくてはいけない。東西文明を融合して新しい環境倫理を創造しなくてはいけない。「宇宙船地球号」という結構な言葉には光と影があると思っています。人間は極限状態になったときに、本当に仲良くできるのか、影の部分では資源競争で殺し合いもありうる。過去のイースター島の例だけではありません。現在のアフリカ・ルワンダでもどちらが大統領を出すかということで部族同士が争っているのを見てきました。
CSOに期待する

後藤 全員が参加しなければ、環境ビッグバンは実現できないのですが、私は社会の構成を三つに分けています。第一セクターを政治・行政、第二セクターが民間企業、第三セクターをCSOとしています。NPOやNGO両方のNonという言葉を取って双方を含む積極的な概念として使っています。環境教育その他で環境に目覚めた市民=地球市民が一般市民から出てくる。さらにその中からある目的を持って結束し組織化した人びとをCSOと呼びます。
 地球市民には二面性がある。政治家あり官僚あり学者あり企業の経営者あり従業員ありと、いろいろな立場を持ってはいても、家に帰ればみな市民である。政治家も官僚もみないろいろな立場で拘束されているので思い切った行動に移せない。しかしCSOは拘束度が比較的少ない。イデオロギーはなく、使命感を持って、勇気と情熱で、抜群の行動力を持った、若い人びとが結束している。「平成の坂本竜馬」と私は彼らを呼び、期待しています。「平成の坂本竜馬」は個人、企業益、国益を超え、「地球益」「人類益」との共生を目的としている。
 国籍を問わず、男女を問わず、こういう人たちが明らかに増えてきている。アメリカのピーター・ドラッカーも言っているように21世紀は環境の世紀であると同時にCSOが台頭する世紀です。日本では比較的遅れているのですが、官から民、中央集権から地方分権、NPO法の施行、IT革命や情報公開法といったものが追い風になってきます。さらに女性のパワーの台頭などもそうです。
 その中から、グリーンコンシューマー(賢明な消費者)が増えてくれば、企業はその行動・態度を変えざるを得ません。企業が変わり、経団連も変われば、政治家も動かざるを得ない。グリーンコンシューマーが増えれば、グリーンボーターが増え、グリーンオンブズマンも増えてくる。愛知万博の海上の森、吉野川の河口堰の問題も、市民との対話なしで進めていけば全部ひっくり返る、ということを証明している時代です。CSOこそ社会・経済を動かす原動力であり、その次に企業や政治家、学者などが先進的なことを世に出し、それに政治が応じるということになるのではないでしょうか。
幸田 21世紀は環境の世紀であり、CSOの世紀である。グリーンコンシューマー、グリーンボーター、グリーンオンブズマンとしての私たち市民の行動や役割についてご指摘いただきました。グリーンボーター、「緑の有権者」としての意識についてはまだまだ力を入れる余地があるのではないかと思いましたし、グリーンオンブズマンもこれから育てていかなくてはいけないと感じました。
持続可能な社会づくりのための日本のリーダーシップ

幸田 言うまでもなく地球環境問題は日本だけでなく、地球規模の取り組みが必要なわけですが、この面での日本の国際貢献は必ずしも十分ではないという声もありますし、また同時に貢献に見合う評価も受けていないという意見もあります。
 持続可能な社会を築くためには日本のリーダーシップは非常に重要で、そのためにも日本はまず国内で率先して持続可能な社会の構築に向けて一生懸命取り組む必要があると思われます。私もメンバーの1人であります中央環境審議会の地球温暖化対策検討チームは、6月、温室効果ガスの6%削減という公約を果たすため、政策パッケージを提案しています。規制的手法、税や排出量取引などの経済的措置、自主的取り組み、そして環境投資など有効と考えられる政策を組み合わせたポリシーミックスを形成することが必要であると提言しています。
 ここで温暖化防止対策など日本が地球環境面で果たすべきリーダーシップとは何か、お話しいただきたいと思います。
森島 中央環境審議会の委員として政策づくりに関わっていて感じることは、日本は政治家がリーダーシップを取っていないということです。自民党から共産党まで環境問題の重要性を取り上げていますが、いざいろいろな環境に関する法律が国会に出ますといつのまにか骨抜きにされていしまいます。これは各省庁のタテ割りによる足の引っ張り合いということにもよりますが、私はむしろ政治家がしっかりしてリーダーシップを取ってくれれば、日本の官僚は非常に優秀ですので、その方向に動いていくと思います。日本が遅ればせながら率先して、温暖化をはじめとする地球環境問題に取り組んでいけば、それが最大の国際貢献だと思います。お金を出すだけでなく、自ら行動をするということだと思います。
後藤 日本は経済先進国に奇跡的になったわけで、これを絶対に維持発展させていかなくてはいけない。富めるもの、力あるものの責任と言ってもいい。貧乏になったら三つの壁の克服なんてとてもできない。経済先進国をさらに維持発展すると同時に環境先進国、科学技術先進国にならなくてはいけない。ぜひ憲法に環境権を導入し、人権と同様に環境権を確立してほしい。米国のゴア副大統領は『地球の掟』という本を書きましたが、地球の掟違反には罰則がなくてはいけない。人権侵害と同じように環境権を侵害するのは人類の敵であり、国際法廷で裁かれるという時代が来ないと、環境ビッグバンの「全員参加」「世界同時」なんて無理ではないでしょうか。
新しい21世紀を工夫するのが日本人の役割

堂本 森島さんがおっしゃったように、私自身も含めて、日本の国は政治家がどこまできちんとやるのかという意思決定をしていないと感じています。常に抜け道をつくっている。例えば、リオサミットの直前に「種の保存法」が遅ればせながら制定されました。ところが140ぐらいの法律、河川法も森林法も建設省関係の法律も全部例外規定になっており、「種の保存法」が適用されません。
 ディーゼル自動車の規制もしかりです。政治の中枢で一生懸命、排気ガスをあれほど許してはいけないということを、何人もの環境に熱心な政治家が言っても、あと一歩のところで矢が折れる。これは国として決断がきちんとなされていないからだと思います。もっと言わせてもらえば、総理大臣がその気になってもできないのがこの日本国です。このような政治の仕組みを変え、もっと風通しをよくして、後藤さんがおっしゃったように掟を犯すものがだめなのだと言い切らない限り環境政策は進展しないと思います。
 日本で海岸線が90%消滅してしまったら決して平和には暮らせないのです。そのことを考えると、グリーンコンシューマー、グリーンボーター、グリーンオンブズマン、環境の視点からもう一度、日本の政策・法律すべてを見直すことが大事だと思うのです。私は、それは経済的発展に反するものではなく、開発や経済的発展と調和する形で新しい21世紀を工夫するのが私たち日本人の役割だと思っています。
 日本人が爆弾的な力を発揮していい時だと思います。これだけの経済発展を成し遂げた国はほかにない。日本はとてもスピードの速い国で、こうと思ったら50年でこれだけの経済発展も成し遂げたのです。後藤さんがおっしゃったように地球規模で活躍する「坂本竜馬」が日本から出てくるかもしれない。意識改革さえすれば日本人は力を発揮することができる。政治家の決定と同時に1億数千万人の人びとがそういう意識を持てば政治も変わる。それが日本国を環境先進国にするのだという「決断」へとつながっていくのだろうと思います。日本の企業経営者も官僚も市民もCSOもみんなが世界中で力と知恵を出し合えば、次の世紀に日本は必ずやG8で環境のリーダーシップを発揮できることでしょう。
幸田 一つ強く感じたのは、これからの時代をしっかりと生き抜いていくためには、これまで大事にしてきた価値観の一部分や慣れ親しんできた社会システムを修正せざるを得ないということを迫られていること。まさに私たち一人ひとりのリーダーシップに関わる問題なのではないかと思います。米国に留学中にリーダーシップ論を学んだのですが、その先生がおっしゃったことを思い出しました。「本当のリーダーシップが必要なのは指導者も専門家も含めて解答がわからない時。解答がわかっていれば専門家に聞けばいい」。まさに今、世界中で解答を求めて模索をしている、そのための試行錯誤が繰り返されていると言えるのではないでしょうか。
 21世紀に私たちは生き残れるかという難しいテーマを近藤会長から引き継いだわけですが、私たち一人ひとりが傍観や無関心をやめ、どれだけ本気で問題に取り組むことができるか――大きな宿題、取り組むべき課題をいただいたような気がします。皆さん、ありがとうございました。



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