第45回 上遠 恵子(かみとお けいこ)さん(レイチェル・カーソン日本協会理事長)
<プロフィール>
東京都出身。東京薬科大学卒業。研究室勤務、学会誌編集者を経て、現在エッセイスト。レイチェル・カーソン日本協会理事長。レイチェル・カーソンの著作物の訳書に『海辺』(1987年、平河出版社、原題The Edge of the Sea)、『潮風の下で』(93年、宝島社、Under the Sea-Wind)、『センス・オブ・ワンダー』(91年、祐学社、96年、新潮社、The Sense of Wonder)など多数。訳書としてほかにF・グレアム著『サイレント・スプリングの行くえ』(70年、同文書院、Since Silent Spring)、P・ブルックス著『レイチェル・カーソン』(『生命の棲家』改題、74年、新潮社、The House of Life: Rachel Carson at Work)、C・スコールズ『平和へ』などがある。現在、上遠さんが出演するドキュメンタリー映画「センス・オブ・ワンダー:レイチェル・カーソンの贈りもの」の制作が進んでいる。
科学技術万能の時代に、そのマイナス面を『沈黙の春』で描き出した勇気――それは彼女が“センス・オブ・ワンダー”を持っていたからカーソンの志を語り継ぐ
幸田 レイチェル・カーソン日本協会の活動について教えていただけますか。
上遠 1987年にカーソンの生誕80年と『沈黙の春』出版25周年をあわせて大阪で行われた記念会を機にもっと永続的にカーソンの志を語り継いでいきたいという話が出て、88年にレイチェル・カーソン日本協会は発足しました。今、会員が全国に600人くらいいます。
幸田 最近関心の高いテーマは何ですか。
上遠 力を入れているのは環境教育ですね。それから環境問題に対する啓蒙、まだ『沈黙の春』を知らない方もいるし、それからゴミや食品など生活に直接かかわる問題などを皆と考えていきましょうということです。また会報の発行、講座、カーソンの足跡をたずねるスタディツアーでアメリカのカーソン協会とも交流しています。 カーソン協会というのは母なる港みたいなもので、会員はそれぞれの活動をしているけれども自分の考え方の根本はどこかなというとカーソンに戻ってくる、こういうふうな感じの会なんですよ。地域別の集まりでは“センス・オブ・ワンダー”をキーワードにしてあちこちの里山や海辺を歩いてみたりしています。
幸田 素敵ですね。
上遠 『沈黙の春』にある化学物質による環境汚染という厳しい話もしなければならないし、『センス・オブ・ワンダー』のように自然の中に入っていやされる、やさしい気持ちになる、この両方は車の両輪のようにカーソン協会の推進力になっているんですよね。
幸田 カーソンはまさにその両方の遺産を残したのですね。環境問題の基本ですね、両方とも。“センス・オブ・ワンダー”を持つことと化学物質などの危険な部分に対してしっかり目を開けること。
上遠 しかもそれを科学的に調べる。感情的に怖いとか、けしからんというだけでは長続きしないんで、なぜけしからんとか、なぜ危険なのかということをきちんと説明する。生物学者、科学者だったからそれが身についていたんでしょうね。私たちもそうしなければいけませんね、という話はいつもしています。
幸田 カーソンとお会いになったことはないそうですけれども、カーソンの作品とは亡くなる前から出会っていらしたのですか?
上遠 ええ、62年に『沈黙の春』が出た時に私の父親が農水省農薬検疫所という農薬を推進するようなポストにおりました。今も持っていますけれどあの本を父が買ったのは初版かあるいは2、3版、ほんとうに初めのころです。父が読んで私にまわしてくれました。父は昆虫学者で「殺虫剤のいろんなことを書いてあるけれど自分としては賛成とかなんとかではなくて、昆虫が薬に対して抵抗性ができるとか、環境を汚染するということまで自分たちは考えてなかった、これはすごい本だ」と彼は彼なりに評価していたんですね。これが『沈黙の春』とレイチェル・カーソンという名前を知った最初です。当時、私は大学の農学部の研究室にいたのですが、女性がこういう本を書いているってとても輝かしく見えました。
 
カーソンと似た境遇
上遠 日本では60年代初めはやっと戦後の空腹感から解放され、食糧の自給率がなんとか大丈夫という時代。それまでに農薬がそれなりの働きをした時代があった。父親が農水省にいたこともあって、私は、農薬はいいもんだとしか思っていなかった。それを、マイナスの面を見せられた時には、やはりアメリカは戦勝国だからぜいたくなんだわと、率直にそんな感じだったんです。でもそのうちに日本でもいろんな影響が出てきて、もう一度『沈黙の春』を読んだりして、これはゆゆしき問題だと思うようになったの60年代の後半。『沈黙の春』が出た後の出来事を書いた『Since Silent Spring』が70年に出ました。私がいた研究室の教授が日本語に翻訳して私も手伝いました。その時にカーソンの人となりや生い立ちを知って、すごく親近感を持った。お姉さんの2人の子供を引き取り、姪の子供のロジャーを育てたりという。私も母親をなくした姪と甥を、私の父と母と一緒に世話をしておりましたから。
幸田 何を目指していらしたんですか、大学では?
上遠 初めは分析化学を、その後は学会誌の編集をしていました。体をこわしたりもして、学者になる夢はあきらめていました。「カーソンと境遇だけ似ている」なんて言われてその気になって、もっと詳しいことを知りたいとアメリカに手紙を出し『House of Life: Rachel Carson at Work』という本を手にしたのが72年だったでしょうか。いろんな方にサポートしていただいてその本を訳した。それからカーソンにはまっちゃった。
幸田 『センス・オブ・ワンダー』を英語で読んだんですけど、とてもシンプルな言葉を使っているのですが、奥が深いんですね。あの本の中でどこが一番好きですか。
上遠 メインテーマは子供の世界はいつも新鮮でいきいきと美しくって、そして知ることは感じることの半分も重要ではないというところと、豊かに耕された感性の上に培った知識はちゃんと身につくというところです。そして、地球の美しさを感じとれる人は人生に疲れたり悩み事にぶつかっても必ずやそれから回復する小道を見出すことができる、そして生命の終わりの瞬間までいきいきとした精神力を保ち続けることができるというところが、このごろ、だんだん自分が年をとってくると強く思うようになりました。
幸田 カーソンのどこが一番好きですか。
上遠 非常に静かで穏やかな人だったという点。とても控えめで、けれども、きちんと確信のあることをはっきり言う、少し古いタイプ、東洋的かなって思うくらい、繊細なところがあるのが好きです。生きている時に会えたら、もっとファンになれたと思うんですけれど。これは私の想像ですが、結婚しなかったのも姪たちやその子供とかお母さんのことを優先したのではないでしょうか。決してもてなくて結婚しなかったわけではない。
幸田 カーソンとの特別な出会いがもたらしたものは?
上遠 なにかという時に、カーソンだったらどう考えるかと立ち戻るようになった。環境や共生をキーワードに考えるようになりました。価値観を変えることによって自分の生活にこんなに安心感を得られるのかという解放感を感じています。自分で勝手にカーソン像をつくって、「こんな時どうしたらいい?」なんてね、母に語りかけるのと同じみたいに。カーソンが私の中に棲んでいてくれるんです。
われわれは分かれ道にいる
幸田 『センス・オブ・ワンダー』の中で「もしこれが、いままでに一度も見たことがなかったものだとしたら? もし、これを二度とふたたび見ることができないとしたら?」という節がありますね。私はその部分が最も印象に残っています。それぞれの種が自然の状態で生きられるからこそ出会いもあるということで、今怖いのは彼らの生きる権利も場所も失われてきている。
上遠 一期一会の感覚ですね。カーソンはまた、いろんな感覚の回路を開きましょう、目とか耳とか鼻とか触覚とかそういうことをもう一遍学び直しましょうと言っていますよ。
幸田 カーソンが農薬汚染に対する告発をすことは当時、とても勇気がいったことではないかと思うんです。男性もやっていなかったことをカーソンはやった。逆に女性だったからできたという部分もあったのでしょうか。
上遠 ええ、生命を継承する、産む性であるということは危機を感じとる感性が鋭いと思います。あの時代というのは科学技術万能の時代で、消費は美徳、能率・豊かさ・便利さをどんどん取り入れて、飢餓も暑さも寒さも科学技術があればなんでも克服できるという時代にそのマイナスの面を『沈黙の春』で描き出したというのはすごい勇気だと思います。しかも世論や環境行政をずいぶん変えた。 その力というのはどこから来たのだろうと思うと、彼女が“センス・オブ・ワンダー”を持っていたからなんではないかと思います。小さい時に彼女のお母さんが、自然は神様が創ったもので、皆がそれぞれ関わり合って、助け合って生きているんだよと教えてくれたんです。ですから生態系という考え方がエコシステムなんて言葉は使わなかったにしても、生き物や自然がみな人間だけのものではない、人間も自然の一部なのだということをよく教えているんです。
幸田 上遠さんが一番これからの若者に訴えたいことは?
上遠 今、若いお母さんには、小さい子供の時期というのはあっという間に過ぎてしまうのだから、一緒にいる時間を大事にして、子供とほんとうに濃密な心のふれあいの時間をつくりましょう、自然というものの素晴らしさをともに素直に感じてほしいと、話をしています。なにも大自然の中に行かなくても、中自然でも小自然でもいいから子供と一緒に感じましょうねと。“センス・オブ・ワンダー”を育むためには、仕事をやめて家にいろということじゃなくてね、心でぴたっと子供の成長にいつも寄り添っている大人が必要だと思うんです。『沈黙の春』の最終章で彼女が言っているのは今われわれは分かれ道にいる。今まで来た道は、ハイウェイのものすごいスピードに酔うこともできるけれども行き着く先は破滅だと。もうひとつの道は暗くて人もあまり行かないかもしれないけれども、この道を行く時にこそ地球を守ることができ、命を守ることができると。「The Other Road」を「べつな道」と翻訳されているのですが、21世紀に生きるすべての人に、別な道を選ぶ勇気が今求められているんではないかなって思うんですよね。それは容易ならない道だと思いますが。 21世紀中に人類が絶滅すると思うかと小学校の高学年に聞いたら、男の子が47%、女の子は32%が「はい」と答えた。しかも、恐竜は体が大きくなりすぎて絶滅したけれど人間は頭がよくなりすぎて絶滅する、という警句まで言っている子供がいる。 だから私たちの責任って重いと思います。子供たちにそんな悲観的な絶望を与えてはいけないんですね。「子供には愛と希望がよく似合う」と思います。親にほんとうに愛されているということは日常生活の中でとても大切なことですよね。(2000年3月24日東京都内にてインタビュー)
インタビューを終えて

今から約40年前に、DDTなどの殺虫剤による環境汚染への警告を発した『沈黙の春』。レイチェル・カーソン著のこの本は、現代の環境保護運動のさきがけと言われ、今もなお高い評価を得ています。そのカーソンの最後の作品で没後に出版された『センス・オブ・ワンダー』などの訳者として知られる上遠さんは、その作品の映画化に自ら出演することになった驚きを「頭真っ白という感じ」と照れくさそうに話してくれました。 上品で控えめな印象の上遠さんですが、聞けばカーソン自身も控えめな人だったとのこと。あえて髪の毛を染めないようにしているのだそうです。「カーソンだったらどう考えるかと日々の生活で考えるようになったから」だと言います。 上遠さんがカーソンの翻訳を初めて手がけた70年代には、大きな社会的な声にまでは至らなかったと言いますが、30年近く経って環境意識が高まってきた今、映画に込められたカーソンのメッセージは、きっと多くの人びとに感動を与えることでしょう。(幸田 シャーミン)



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