第50回 タルシシオ・デラセンタさん(国連大学高等研究所所長)
<プロフィール>

1932年ブラジル生まれ。ハーバード大学教育博士課程修了。60年にフランス・パリカトリック研究所にて教育学の修士号を取得後、サンパウロカトリック大学や母校のブラジルのリオ・グランデ・ド・ソル国立大学教鞭をとる。79年からブラジル教育相高等教育担当官、国家科学技術振興審議会企画予算部長などを歴任、国の教育政策および科学技術振興に携わる。89年国連大学企画開発局長になり、96年より現職。
産業界が成功例を世界に示すことが日本の貢献
問題の解決策を探究する――それが目的の「大学」
幸田 初めに、国連大学の役割、その活動や目的などについてお話しいただけますか。
デラセンタ 従来の大学との大きな違いは、学科を通じた教育や研究ではなく、問題や課題への取り組みに研究の重点を置いていることです。また、特定の国の問題ではなく、例えば、環境、健康、和平、アジアの経済危機など、世界の国々に広く関わりのある問題に取り組んでいることです。さらに、専門家を世に送り出すのが目的ではなく、いかにしてさまざまな分野の専門家に共同で問題に取り組んでもらい、その解決策を探すかということを目指しています。グローバルな問題の解決のための戦略を研究者や科学者などに議論してもらい、世界の政策立案者や意思決定者に役立ててもらうということです。
幸田 これまでの国連大学の最も大きな成果、社会的貢献は何だとお考えですか。
デラセンタ いくつかありますが、後にWHO(世界保健機関)の基準にも導入された研究成果で、食物を通した鉄分の摂取が幼児の脳の発育に与える影響や、現在も取り組んでいるUNL(ユニバーサル・ネットワーキング・ランゲージ)というインターネット用の電子言語の開発、そして、とくに日本における最も大きな成果は「ゼロエミッション構想」の推進といえるでしょう。
幸田 ゼロエミッションは大きな注目を集めていますね。構想はどのようにして生まれたのですか。
デラセンタ ゼロエミッションの発想は、国連大学が推進している「エコ・リストラクチャリング」というテーマが出発点といえるでしょう。エコ・リストラクチャリングとは、無駄や公害、生態系に害を与える、現在の経済のあり方を見直すという試みです。自然は人間の活動によってあまりにも大きな影響を受け過ぎている。われわれはこの流れを変える取り組みを始めなければならない。こうした考えから、私たちは、まず、企業に働きかけることにしたのです。企業で可能だとすれば、他の分野の人たちも受け入れてくれると考えたからです。企業にとって良いことは環境にとっても良いというふうに、経済と環境をいかにして調和させるかが重大な課題であったのです。そこで、まず、ビール、セメント、電子などの大企業30社を招き、国連大学で1994年7月に初会合を開きました。企業の出席者はその実現方法などに強い関心を示し、この会合の議長を務めてくださった下河辺淳さん(元国土事務次官)は、「ゼロエミッションは日本の産業界のルネッサンスである」と高く評価してくれました。ゼロエミッション構想を打ち出した後、それを推し進めてくれたのは、企業であり、マスコミだったといえるでしょう。
幸田 「ゼロエミッション」という名前はどこから来たのですか。
デラセンタ 初めにゼロエミッションという言葉が使われたのは、アメリカのカリフォルニア州の車に対する厳しい排気規制です。一方、われわれのゼロエミッションは、産業活動において、生産の工程から出る廃棄物をなくそうというものです。残留物や最終製品を次の生産に投入する。つまり、天然資源の100%利用。そのための企業間、行政間の協力、ネットワークづくりです。
アメリカよりも一歩先行く日本
幸田 ゼロエミッションを実現するための技術や知識は日本にあるのでしょうか。
デラセンタ あります。ただ、分散しています。知識、技術、そして、ビジョンはありますが、ばらばらになっています。
幸田 日本とアメリカを比べると、どちらがより態勢が整っているのでしょうか。
デラセンタ 明らかに日本です。
幸田 それはマインドの面でですか、それとも技術の面ですか。
デラセンタ アメリカの産業界は、技術、やる気、コミットメントの面で日本の産業界よりかなり遅れているといえるでしょう。逆にアメリカのNGOは日本のNGOより積極性があります。これは私見ですが、日本の産業界は水俣病などの深刻な公害を経験しているので、新しい世代にも関心が根付いている。また、政府の規制も厳しく、品質管理の質もより高い水準にあります。ですから、ゼロエミッションはその次のステップといえるでしょう。
ゼロエミッションの地域社会への応用
幸田 分散している技術やアイデアをまとめるにはどうしたらよいのでしょうか。そのための何が欠けているのでしょうか。
デラセンタ 産業界のリーダーシップと政界の強い意志でしょう。いくつかの個別の企業はとてもコミットしています。経団連でも、いいプログラムを持っています。しかし、グローバルな競争の中にあって、あえて新しい経済、グリーン経済に向かうためのリスクを取ろうとしない面もあると思います。また、技術などの面で不確かな部分があるのも事実です。通産省や環境庁などの発言の中にゼロエミッションへの言及や施策もありますが、世界の他の国に比べ、早く進め過ぎることへの懸念もあるかもしれません。 一方、去年から取り組んでいることなのですが、地方自治体の参加も必要なのです。そこに大きな力を入れています。例えば岩手県、埼玉県、川崎市、北九州市などでは、具体的な取り組みを始めています。全体の努力の中で、市民や地域社会の理解、応援、参加が必要なのです。環境への配慮を企業、農業、サービスなどに取り入れるために、自治体の組織をどう組み直すかという課題があります。ゼロエミッションの地域社会への応用です。
幸田 日本ではいつ実現しそうですか。時間はまだかかりますか。
デラセンタ はい。しかし、過去5〜6年をふり返ると、違いは顕著に表れています。今年度ゼロエミッションの推進のための三つのネットワーク、総称してゼロエミッション・フォーラムが設立され、産業界、学界、自治体、それぞれが取り組んでいます。自治体のネットワークには19の県知事が発起人として署名、会員になっています。10月には年次大会を日本で開きます。さらに前進していくと思います。幸田 自治体のリーダーが参加していることは素晴らしいですね。デラセンタ ええ。彼らは行動しなければならないのです。解決しなければならない具体的な問題を抱えているのですから。企業や自治体に比べて政治家の取り組みはまだ十分とはいえないでしょう。
幸田 それが次の目標ですか。
デラセンタ そうあるべきでしょう。ただ、地域社会から始めるのが一番だと思います。地域社会の意識が高まれば、市民・住民活動を通して、候補者に働きかけることができます。政治家たちはもっと敏感になるでしょう。
日本のベストプラクティスを世界へ発信
幸田 国連にいらっしゃる前は、教育の分野で多くの功績を残されていますね。ブラジルでいくつも大学をおつくりになっていますね。
デラセンタ はい。ブラジルの教育省の高等教育担当官をしていましたから、科学技術審議会の予算部長を経て、東京の国連大学に来ました。
幸田 12年間貢献された国連大学を近く退職されるそうですが、どのようなことが最も心に残っていますか。
デラセンタ この研究所は日本にとっての「宝石」だと思うんです。もちろん国連にとってもです。個別の国の利益を超えたグローバルな利益を考えることを目的としているのですから。幸田 日本政府は環境問題の解決に何かできるとお考えですか。デラセンタ いかにして産業界が、環境の分野で成功できるかという例を技術先進国として世界に示すことです。それは多分、日本の政府や産業界が実践しているベストプラクティスをアジアや国連により強く発信していくことでしょう。
幸田 ありがとうございました。(2000年8月11日東京都内にてインタビュー)
インタビューを終えて
「あなたはブラジル人より日本人に近いと、海外でもよく言われるようになりました」――通算12年、国連大学で活躍し、高等研究所所長としても、従来の研究機関の枠を越え、企業や自治体に積極的に働きかけて、新しい形のパートナーシップに挑んできたデラセンタさんは、日本を離れるのが心残りのようです。やさしい笑顔を絶やさない温厚な人柄に、別れを惜しむ声も少なくないでしょう。 今回のインタビューで、「日本は自国の文化的価値を世界に売り込むことに、もっと力を入れるべきだ」と言われたことが印象に残りました。日本はこれまで「品質の高さ」という価値を企業活動を通して世界に広めた実績があります。次はゼロエミッション技術などのように、「環境」を重要な要素とする産業文化の発信の番。 「ゼロエミッションは持続可能な発展を推進する一つの手段です」と言うデラセンタさん。21世紀の日本の産業が環境ルネッサンスを迎え、世界に貢献できたら本当に素晴らしいと思いました。 (幸田 シャーミン)




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