第8回 鷲谷 いづみさん(筑波大学生物科学系助教授)
<プロフィール>
washitani8 1950年東京生まれ。78年、東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。86年から筑波大学生物科学系講師、92年に助教授に。専門は植物生態学、保全生態学。植物の生活史を主なテーマに、保全上重要な植物である、サクラソウ、アサザ、カワラノギク、フジバカマなどを研究対象にしてきた。現在は「サクラソウをめぐる生物間相互作用」の研究で、国内およびアメリカ合衆国の動物生態学者と共同研究を進めている。著書には「日本の帰化生物」(共著、保育社、93)、「動物と植物の利用しあう関係」(編、平凡社、93)、「保全生態学入門〜遺伝子から景観まで」(共著、文一総合出版、96)、「オオブタクサ、闘う〜競争と適応の生態学」(平凡社、96)。
幸田 生物多様性の保全が重要な課題となっていますが、生物多様性の危機と言うと熱帯林など、原生の自然を思い浮かべてしまうのですが、日本でもたくさんの種が消えようとしているんですか。
鷲谷 そうです。とくに身近な自然の中で絶滅の危機が高まっています。
 秋の七草の一つであるフジバカマは古来から人びとに親しまれてきましたが、これは絶滅の危険のある植物の中でもとくに心配されているものです。日本人がまだこれほどたくさん住んでいなかったころ、低地の川は自然の増水によってときどき氾濫し、まわりにはこのとき水没する「氾濫原(はんらんげん)」が広がっていました。フジバカマはそのような場所に生息する植物です。
幸田 生物多様性を保全する意義として、植物の遺伝資源の価値をよくいいますが。 
鷲谷 生き物は相互に強く依存しあって生きていますので、ある植物の生育に必要な昆虫など、ネットワークをまるごと保全しなければ、その有用な植物を保全することはできないのです。
 西インド諸島に生息していたドードーという鳥は大航海時代に人間に食べられたり、ペットとして持ち込んだ動物のエサになってしまったりして絶滅してしまいました。このドードーが種子を食べて運ぶことによって種族を維持していたある樹木が、種子をつけても芽生えることができずにいることが、ドードーの絶滅した後、300年してからわかりました。樹齢300年より若い木が全然ないのです。この木は、たいへん固い実をつけ、それがドードーの消化管を通らないと種子が発芽できる状態にならないのです。ドードーがいなくなってしまったので、その木は自然の状態で子孫を残すことができなくなっていたのでした。科学者たちはシチメンチョウをドードーのかわりに使い、ある程度の効果をあげています。
幸田 自然の秩序はそうしたデリケートなバランスやネットワークによって成り立っているのに、人間にとっての目先のメリットを優先してしまうんですね。 
鷲谷 生物や自然は人間の生活を物質的に支えてきただけではなく、心のやすらぎや文化といった面でも大きな意味を持っていると思います。フジバカマのように日本の詩や歌に詠まれていた草花がなくなる、ということは文化的な衰退にもつながるのではないでしょうか。
 また、生命の歴史30数億年の間に、それぞれ独自に進化して「種」ができあがった。それがいったん失われると、もういかなるバイオテクノロジーでも蘇らせることはできません。「種」のみならず、生物同士の関係そのものも、かけがえのないものです。
幸田 よく、「野生生物の絶滅というのは自然の中でも起こる。だから絶滅が起こるのは仕方がない」という論を聞きますが、これについてはどう思いますか。 
鷲谷 もちろん昔から地球環境の変動に伴って、生物は絶滅してきましたし、大量の種が絶滅した時期もありました。そういう絶滅は、ある種の生物の絶滅に伴って、その中からまたべつの種が生まれてくる、つまり絶滅と進化が相伴って起きてきたわけです。また、こうした絶滅および進化は何百万年という長いタイムスケールのなかで進んでいました。
 しかし現在起こっている絶滅は、ここ何十年かのあいだに本当にたくさんの種が、しかもそのなかから新しい種が生まれることもなく消え去るといったものです。これは自然の中の絶滅とはまったく性格が異なります。
幸田 「進化を伴わない絶滅」はどういった要因で起きているのですか。 
鷲谷 日本では生育場所そのものが失われたり、生育環境が悪化することが最も大きな理由だと思います。サクラソウの場合は、自生地のまわりが市街化したり、殺虫剤をまかれたりすると、マルハナバチがいなくなり、種子が十分にできなくなります。サクラソウは多年草で人間と同じくらい一つの株(クローニ)が長生きするので、花は毎年同じように咲いても何も問題が内ないように見えるのですが。
 今、研究しているのは、こういった状況の場所をもう一度マルハナバチが生息できる環境にして、そこに同じ地域からマルハナバチを導入するというものです。
幸田 ある場所を開発するとき、そこにすんでいる生物を保全するために、それだけ取り出して他の場所に移すことがときどき行われますが、先生の本の中に、その生物だけをとりだしてもだめなんだ、その生物のまわりの環境をまるごと移さないとだめで、たとえまるごと移してもだめなこともあると書いてありました。学校教育の中でも子供たちが、生物の多様性の意義をしっかり理解できるよう、例えば生物のテキストの書き方を工夫する必要があるかもしれませんね。先生は「保全生態学入門」という本もお書きになり、その分野にも取り組んでいらっしゃいますね。 
鷲谷 今は私の研究のかなり大きな部分が「保全」に関わるものになっています。研究対象自体が衰退してきて、研究が成り立たなくなるという危機感を持っているからです。
 とくに雑木林や河原の植物が激減しています。カワラノギクという植物の研究をしているのですが、これは日本でも多摩川と鬼怒川にしか生息していない植物です。多摩川ではこの10年間に10分の1に減ってしまいました。カワラノギクは河原が増水や氾濫によって他の植物が死んでしまうと、まず最初に生えてくるような植物です。洪水が少なくなり、自然の河原がどんどん他の用途に利用され、外来の植物が生えて、さらには固有の生育環境が失われてしまったことが原因です。カワラノギクも放っておけば絶滅してしまう恐れが大きく、今多摩川の環境を守る活動をしているグループの方たちが種子を残された生育適地にまくことを試みています。
幸田 私たちの人間文化は衣食住と大きく植物に依存してきています。これからの21世紀に植物の果たす役割、どんな可能性があるとお考えですか。
鷲谷 今何が必要かというと、他の生物とその暮らし方と、人間が社会的なレベルで理解することでしょう。人と人との間でも、名前も知らないし、そういう人がいるかどうかもわからない他人が、何かわからないとても困る状況に置かれていると知っても、親身になってなんとかしてあげようとは思わないでしょう。他の生物に対しても同じことだと思います。
 生物と人との関係では、今までは人の側からの「利用」が主でした。生物に関する学問も生物を「利用」するための学問でした。今後は地球上でそれぞれ進化してきた生物の素晴らしさを理解し、共生していくための学問があってもいいのではないかと思います。
幸田 なぜ生物多様性を保全するかという議論の中で、人間中心と言いますか、生物多様性の破壊はやがて人間にかえってくるから保全しなくてはいけないと言う人と、人間にかえってこようがかえってこまいがとにかく保全しなくてはいけない、と言う人といます。鷲谷さんはこのことについてどのようにお考えですか。 
鷲谷 私の場合は生き物を研究しているので、どうしても生き物に気持ちがいってしまいます。もちろん人間の利害が重要なことは言うまでもありませんが、人の目先の利害だけを追求すると結局、人のためにならないことになりそうなのです。ちょっと心の余裕をもって他の生き物を思いやることによって、最終的には人にとっても良好な環境が維持されるのではないでしょうか。
幸田 私たちにとって植物とは何でしょうか。
鷲谷 生存の基盤だと思います。動物を食べようと植物を食べようと、植物が生産した有機物に完全に依存していますよね。また、心を養う糧でもあります。
 そして、大切なのは有用な、ある一部の植物だけでなく、全体を保全することです。例えば、マルハナバチに花粉を運んでもらう春の花は、秋の花にも強く依存しています。というのはマルハナバチがそこでいきていくためには春の花だけではなくて秋の花も必要だからです。というように、ある場所で暮らしている植物はみな運命共同体なのです。
幸田 鷲谷先生から見て、今の日本の動植物の実状は深刻ですか。
鷲谷 深刻だと思います。動物や植物は口がきけません。野生の動植物に日常的に接している研究者は、その窮状がよくわかっているので彼らの代弁者にならなくてはいけないと思います。
幸田 ますますのご活躍をお祈りします。

インタビューを終えて

charmine8  鷲谷先生と話しをしていると、私の植物に対する考え方だけでなく、気持ちまでが、どんどん動かされていくのを感じました。美しいかどうか、薬として利用できるかどうか、といった人間の都合だけで植物に接するのではなく、ともに生きる存在としてつきあうべきなのだ、と。
 先生によると、今、進化を伴わない絶滅が急速に進んでいるのだそうです。これは、近年の絶滅のスピードが、何百万年ではなく、人間のさまざまな行為によって、わずか数十年にまで縮められているせいだということです。
 人間の活動は、自然の秩序にあまりにも無関心に、また無知に、手を加えすぎているのではないでしょうか。鷲谷先生がおっしゃるように、「よく知れば、どうにかして力になりたいと思うはず」。世界中で赤信号を発している植物に対して、理解を深めるためにも、私たちはまず、利用のための教育から、手をさしのべるための教育に早急にシフトしなければならないと痛感しました。(幸田 シャーミン)




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