第25回 舘内 端(たてうち ただし)さん(日本EVクラブ代表) | ||
<プロフィール> |
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1947年群馬県生まれ。日大理工学部機械工学科卒業後、東大宇宙航空研究所に勤務。その後、レーシングカーエンジニアとして、F1、F2、GCなどのレーシングカー設計・改良などを手がける。77年からは、フリーランスエンジニアとして活躍する一方で、自動車批評にも取り組み、現代のクルマとクルマ社会について考察する執筆活動も多い。94年には愛車のジャガーを売り払い、自費で製作したZEF(ゼロ・エミッション・フォーミュラー)で米国の電気自動車レースに参加、3位に入賞したのをきっかけに日本EVクラブを設立した。著書に「2001年クルマ社会は崩壊する」(1987年、三推社講談社)など。 日本EVクラブ(Japan Electric Vehicle Club) 「電気自動車に夢とロマンを持ち、市民自ら21世紀のモータリゼーションを想像し、未来に向けて主体的に生きる」ことを目的に活動する市民団体。EVでル・マン24時間レースに挑戦する。世界のEV仲間とモータリゼーションを語り合う。日常生活においてEVを活用できる環境を整えるなどを目標に、EVづくりやレースへの参加など実体験型の活動を進めている。1994年に舘内氏を中心に設立され、98年6月現在、個人会員557人、法人会員24社。今年8月、茨城県つくば市で開催する第4回日本EVフェスティバルでは、手づくりEVによるレースのほか、EV試乗会、EVと環境に係わる展示などを行う予定。 | ||
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「より近く、より不便で、より遅い」これが電気自動車が目指す価値観 | ||
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幸田 舘内さんは以前、東大宇宙航空研究所に勤務し、その後レーシングカーの設計に携わっていらっしゃいましたね。速くて美しい車を追求していらした方が、電気自動車に取り組み始めたきっかけは何だったのでしょうか。。 舘内 15年ぐらい前から、運輸省や建設省などの低公害車の導入を検討する委員会に出席していましたが、低公害車の普及は相当不可能に近いことだということも見えていました。そんな折りに、一緒にレーシングカーの設計に携わっていた友人が会社を起こして、そのメインの仕事として電気自動車をやりたいという相談を受けました。その方向しかないだろうと感じました。 幸田 どうしてそうお感じになったのですか。 | |
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効率の追求だけでいいのか? | ||
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舘内 1972年にローマクラブの『成長の限界』というレポートが出ましたが、僕自身も成長の限界がある、こんなことをしていたら続くはずがないということが見えていました。環境、エネルギー問題という現代文明の問題が生じているのです。だけれど、レースが大好きなのでこちらもやめられない、というはざまで悩んでいました。そこで、『2001年車社会は崩壊する』という本を、87年に書きました。 幸田 なぜ崩壊すると。 舘内 エネルギー・資源多消費の社会がどう考えてもうまくいくわけがない。そしてその象徴がクルマですから、直感で感じたのです。そこで、日本の自然や古代史に触れなければだめだということで、日本中を旅して、その旅の記録をまとめたのがこの本です。科学技術と宗教が融合しない限り21世紀を迎えられないだろうというのが結論です。 幸田 どうして宗教なんですか。 舘内 現代文明によって僕らが手に入れたのは、便利さ、快適さ、スピード、効率、時間の節約です。それを支えてきたのが科学技術ですが、それと対局にあるのが心の問題を扱う宗教。今の文明のあり方に警告を発するベースには、生態系を見つめていくまなざしがある。人間だけでなく、動物も植物もいて、川も山もあるという一つの循環に人間も組み込まれている。人間という存在だけで人間を支えているわけではなくて、循環に支えられている、生かされているということですよね。この考え方はどこの宗教にもありますが、例えば仏教では、山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)と言いますが、すべて生きているもの、山や川でも平等であり、仏の悟りにいたれる、というまなざしを持っていないと現代文明の問題は見えてこないし、科学技術をどう使っていくかということも見えてこない。 幸田 舘内さんは、クルマの設計やデザインをされている技術者ですが、その舘内さんから「人間は循環に支えられている、生かされている」というお話を聞くのは少し意外な感じがしました。 舘内 人間は一人で生きているわけでなく、生かされているということは当たり前のことですから。 幸田 エンジニアが追求するスピード、フォルム、機能性などという価値と相反することもあるのではないでしょうか。。 舘内 自分自身の中で対立する。EVクラブのあり方がそもそも効率追求主義ではないのです。これには誤解も批判も多いのです。電気自動車というのは「より近くにしか行けないし、より不便で、より遅い」。僕たちがつくっている電気自動車は従来の評価基準、自動車メーカーエンジニアからいうととんでもなく「走らない」クルマになる。彼らは「クルマとは、より速く、より快適に、より便利でなければならない」と決めている。価値観がたった一種類だけなんですね。しかし、その価値観が現在の問題をつくってしまったことに気づくべきでしょう。 | |
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電気自動車が可能にする未来像 | ||
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幸田 電気自動車の充電には、電気代がずいぶんかかるのですか。 舘内 ガソリン代の3分の1とお考えください。アメリカではその5分の1ぐらいになります。 幸田 手作り電気自動車の魅力は何ですか。 舘内 家で手料理をつくることと同じです。外に行ってファミリーレストランで食事するのやコンビニエンスストアで買ってきて食べるのとも違う。生活というのは産業ではありませんから効率の追求だけでなく、もっと色合いや色彩、深さもあるし暖かさもある。 幸田 そんなに大きな魅力があるのですか。 舘内 ありますが、やってみないとわからない(笑い)。自分の手で自分の移動を支えるということです。移動の責任を取り、自分で考えていた自動車がつくれたような錯覚が味わえることでしょうね。 幸田 舘内さんでしたら、普通のガソリン車もつくれますよね。それとの違いは、電気自動車には技術的にチャレンジングな部分が相当あるということでしょうか。 舘内 チャレンジする部分は多くあります。しかし、ここで見誤ってはいけないのは、「より速く、より遠くへ、より快適に」という方向に電気自動車が進めば、すぐに今の自動車が抱えているのと同じ問題が生じます。中身が電気になっただけということになる。 幸田 そうすると解決策にはならないですか。技術的ブレイクスルーにもならないということですか。 舘内 全然そうではないんです。電気自動車はその場では排ガスを出しませんが、その充電する電気は火力発電所か原発でつくられている。火力発電所で石油を燃やして発電している。電気自動車にしたらパラダイスになると考えがちなのですが、まったくそんなことはない。同じ問題を抱えている。 幸田 以前この連載でインタビューした米国のロッキーマウンテン研究所のエイモリー・ロビンスさんがスーパーカーに取り組んでいますが、水素の燃料電池や炭素繊維の車体が実用化される日はそう遠くはないと言っていました。専門的な立場からご覧になっていかがでしょうか。 舘内 もう来ていますね。2000年といわず、燃料電池のバスはベンツがすでにシカゴとバンクーバーで走らせています。量産が2001年に可能です。 | |
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新しいクルマ社会に必要なこと | ||
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幸田 クルマ社会の理想的な将来像をどのようにお考えですか。便利さへの人間の欲望とどう兼ね合いをつけるのか。 舘内 そのとおり、欲望とどうつき合っていくか。人間の車に乗りたいという欲望、より大きな、速い車に乗りたいという欲望があるからこそ、経済が発展し、国が豊かになる。この欲望が経済・産業活動に組み込まれている。一方で、環境、エネルギー問題が発生し、また教育問題などに見られるように精神的な部分で非常に荒廃が進んでしまう。違う欲望を持つということでしょうか。 幸田 車を使っていて罪悪感を感じるのはいやですよね。車が好きな人にとってはつらいですね。 館内 そのとおりです。EVクラブでは1万人試乗運動をやっていますが、乗り終わった人の顔を見るとおもしろい。まったく違う顔になって降りてくる。電気自動車に比べて自分のガソリン自動車が臭い、うるさい、と気づく。ガソリン自動車に乗っていることに罪悪感が一つ生まれる。そうすると電気自動車へ変える人が出てくる。一度罪悪感を覚えると電気自動車にしても、また罪悪感を持つようになる。ソーラーパネルや風力発電にと、とどんどん進んでいく。こういう感受性がこれからは育つでしょう。 幸田 アイドリングストップはやっていらっしゃいますか。 館内 やっています。僕の周辺の友人は全員やっています。 2年前ぐらいにドイツの山の中で、工事用の臨時信号で2台の地元ナンバーの車の後ろに止めたときに、うっかりアイドリングストップし忘れた。青になったとたんにエンジンをかける音がしてはっとしました。それだけドイツでは定着している。 幸田 都市型では電気自動車で十分かもしれませんね。遠くに行くときだけもう少しパワーのある車に乗り換えればいいのではないでしょうか。 館内 スイスのメンデルシオという村では自動車の登録数の8%を電気自動車にしようと取り組んでいる。住民投票で決められたのです。現在、4%ぐらいにまでなった。遠くに行く人は、村が所有するガソリン自動車が利用できるようになっている。 このように工夫すれば可能なことは多い。一元的な価値観でだめだと決めつけてはいけないですね。社会のしくみを変えるための工夫はいくらでもできるはずです。 幸田 今日はありがとうございました。 (98年6月23日東京都内にてインタビュー)
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