第33回 岸田 袈裟(きしだけさ)さん
前JICA(国際協力事業団)専門家、食物栄養学研究家
<プロフィール>
岩手県生まれ。岩手医科大学専攻生修了。1975年からケニアに在住。ジョモケニヤッタ大学および東京外国語大学、岩手医科大学などとの共同研究員としてアフリカの食物栄養学などの調査に従事する。1994年からJICA(国際協力事業団)専門家としケニアの人口教育の促進や女性と開発プロジェクトで活躍。またNGO「少年ケニアの友」を設立、ケニアの孤児院を支援する活動にも力を注いでいる。著書に『菜食入門』(池田書店)。


開発協力は誰にでもできます。心さえあれば。
ケニアの母と呼ばれて

幸田 岸田さんはケニアの母と呼ばれていらっしゃるそうですね.。いつ頃からどのように活動をお始めになったのですか。
岸田 私はJICA(国際協力事業団)で人口教育をテーマに、中央ケニアと西ケニアでモデルエリアを二つつくりまして、そこからいろいろ始めました。どちらも熱帯雨林のあるフィールドでした。最初から環境問題にぶつかったのです。
幸田 ケニアに行かれて23年。ご専門は栄養学ですね。
岸田 私たち先進国の人間は余計な物を食べて病気してしまっているようなことがある反面、食べられない人たちも地球上にはいるわけですよね。人類にとって、必要最小限で健康でいられるというのはどういうスタイルがいいかというのをテーマにヨーロッパやアジアにも行きました。
 その時、野菜がどれほど人間にいいかという本を書いたのですが、エスキモーやマサイ族など野菜を一切口にしない民族もいますよ、と言われましてね。それに横井正一さんがグアムのジャングルで何もないようなところで28年間も健康で生きたというのは大変な実績でしょう。それからヒントを得て、地球上に原始的な生活をしながら健康に暮らしている人びとがいるらしいと、私たちはどうやらそれを見逃したなと。
幸田 よほど魅せられたものがケニアにあったのでしょうね。初めはそんなに長い間、行きっぱなしになるとは思わなかったのではないでしょうか
岸田 ええ。最初はわからないことばかりでしてね。学校で習った栄養学などまったく当てはまらないのですよ。自分の得た知識を捨てるまでに10年かかりました。日本の栄養学は主にヨーロッパから来たものなので、それをたずさえて行ったわけですが、全然当てはまらないのです。あちらではだいたい日常、10本指に入るくらいしかメニューがない。日本では1日30品目などといいますが、全然合わないわけです。
幸田 でも、健康で、長生きしているのですね。平均寿命は何歳くらいですか。
岸田 乳児死亡率を含めますと54歳くらいです。アフリカ全体で50〜55歳前後といったところですが、20歳以上になるとかなり長寿ですよ。
幸田 岸田さんは以前、日本のビニールハウスでつくった野菜を"貧血野菜"だとおっしゃっていましたね。
岸田 例えばウサギなどは小松菜を餌にあげると葉っぱは食べますが茎は食べません。ケニヤの人たちも同様で、白い野菜は食べません。青いところしか食べません。ところが今日本では青いところをやめて白くしてしまって、それで食べた気になっているでしょ。人間の食べものには葉緑素がないと血液ができないことを忘れてしまっています。


かまどで乳児死亡率激減

幸田 地球の人口がどんどん増えて、どこまで地球の資源で人間を養うことができるのか、食料問題は環境の観点からも大きな関心事になっていますが、どのようにお考えですか。
岸田 将来的に人口が増える。その時に私たちはどうしたらいいか、日本人はどうしたらいいか、ということが私の研究テーマでした。
 今、全世界の人びとがアフリカ人レベルの食べ物に落としたとして、「落とす」という表現はよくないかもしれませんが、相当の人たちが飢えから救われる。北半球の人たちは食べ過ぎています。それで無駄が多いでしょう。日本に帰ってきたら本当にそう思いますよ。ばちが当たりますよ。
幸田 ケニアの食事はおいしいですか。
岸田 ええ。日本のものはとくに果物は食べられません。
 日本のフルーツはみずみずしさと甘さにはしっている。酸っぱいものがないでしょう。酸味というのは健康に非常にいいのに。舌先三寸におもねっちゃって、体のことを考えなくなった。
幸田 ケニアは果物や野菜が豊富なのですか。
岸田 ケニアでは、環境の破壊、人口の増加とともに森が遠くなり、水が汚くなる。森から得る燃料が少なくなると何が問題かというと、伝統的な野生種の野菜や雑穀は長い時間の煮炊きが必要なんですが、煮炊きに燃料があまり必要でない野菜に走ってしまう。その結果、栄養不足になる。これがケニアのパターンだというのが、長い間の研究で出ていました。伝統的な食生活を変えないためには環境を守らなくてはと。
幸田 そのような意識はケニアの人たちの伝統のなかにあるのですか。
岸田 ないんです。それが問題なので、かまどをつくったのは、実益を兼ねて伝統を守る一つの手段でした。
幸田 岩手のかまどですね。
岸田 三つの口があって、横にいつでも湯冷ましが飲める鍋を置くようにしました。赤ちゃんの死亡率が高いのは水からの下痢が原因でしたから、これで死ななくなった。
幸田 いつからやっていらっしゃるのですか。
岸田 1994年から始めました。
幸田 かなり普及しましたか。
岸田 ええ、私がケニアを離れるときに5,000世帯でしたから、それ以降はもっと増えていると思います。燃料も4分の1ですむということが実験でわかりました。
幸田 以前はどうしていたんですか。
岸田 女性たちの労働の大半が水汲みと薪とりだった。熱効率が4分の1になったということは、今まで毎日薪取りに行っていたのが、4日に1日でよくなったということ。腰痛もなくなり、あとの3日で何をするかということで、女性の意識改革に取り組みました。
幸田 それは出生率の減少につながったのですか。
岸田 ええ、出生率は半分になりました。2,000人のモデル村で、0〜5歳が285人生まれていたのですが、かまどを始めてから135人、半分に減りました。
幸田 大きな功績ですね。平均寿命もそうですけれど、女性の地位や健康も改善されたわけですね。
岸田 そこで環境に対する考え方も変わってきた。燃料をセーブして、いい水を確保するためには環境を守らなくてはいけないということを教育の中に取り入れました。例えば絵やビデオで水源の上には家を建てないようにしましょうと。みんなの水なんですから、守りましょうと。湧き水を砂利や砂でろ過する装置をつくりました。
 去年の3月から4月にエルニーニョの影響ですごい雨が降ったときに、同じ2,000人くらいの集落で、かまどのあるところではコレラが一例も発生せず、普及していないところからは56人も死者が出ました。それが大変関心を呼んで、ケニア全土からつくってくれという声が上がっています。
 森の大切さを、こういう観点から語り合うのです。欧米の人たちの保護運動は「この森は遺産だから守らなければいけない」と侵入してくる住民を排撃するんです。そうすると、地元の人たちと折り合いがつかず危険なことにまでなったりした。
 環境保全というのは、その環境の身近にいる人と一緒に考えなければできません。彼らには生活がある。イギリスのNGOで、20年も続けていたのに昨年引き上げました。住民との小競り合いで「恐ろしくていられない」と。


日本の開発援助と
NGOの役割

幸田 岸田さんの活動を伺っていると、岸田さんのアイデアがかなり生かされているようですが、日本の開発援助のお仕事は、現場でのアイデアが生かしやすいのですか。
岸田 ずいぶん苦労しました。今でこそマスコミなどに取り上げられて、少し楽になりましたけれど。こういうのはNGOの仕事で、やるべきことはほかにあると言われ、予算にもそういう枠がなかった。
幸田 JICAで派遣されたときはどういう任務だったのですか。
岸田 私の任務は人口教育で、日本が供与した立派なスタジオでビデオをつくって、電気もないようなところでビデオを使って教育するという仕事でした。国民一般が対象ではなくて、政府の中堅役人以上の人材育成をすれば、下に降りていくだろうという前提です。私はお役人たちを引き連れて地域に入りました。そうしたらだんだんおもしろくなって、彼らの実績にもなった。産み手である女性たちに届かない人口教育なんて意味がないと思ったからです。
幸田 現場の人たちのニーズに合ったことをしようとしたときに、お困りになったことは何ですか。
岸田 ひとつは機械ばかりにお金がついて、活動費がないこと。そして安全を考えるあまり、地方へ行くときに現金を持って歩くことを許してくれない。いわゆる地域展開型、密着型の活動に資金が出ない。住民参加などと言葉では言っていますが、そういうシステムがない。
幸田 日本とケニアの文化はずいぶん違うと思うのですが、豊かさというものをどのようにお感じになりますか。
岸田 アフリカでは豊かさはその人のもの、他人のものではない、個々のもの。ところが日本では他人と同じだということが豊かさだと思っている。アフリカの場合は個々のもの。みんな個人個人がどこかで豊かに過ごしている。人によってはものをたくさん持っていることが豊かだと思っている。何にもなくても豊かだと思っている人もいる。
 アフリカの場合は精神的に非常に豊かです。飢えて死ぬことがあっても「悲しい」「不幸せだ」と思わないで死ぬはずです。生も死も自分で受け入れている。悟りの世界です。そういう広いものがあったら、なにもものがなくてもどうということはない。
幸田 最後に、今回『グローバルネット』は100号を迎えますが、NGO活動に取り組んでいる若者たちにスポットを当てた特集を組んでいます。若者たちにメッセージをお願いできますか
岸田 一番言いたいことは日本人のものさしを相手にあてはめないこと。「何かをしてあげる」という精神はいらない。何よりも申し上げたいのは、現地理解を重要視した上で行動していただきたい。何を見ても「かわいそう」を連発する若者が多いですが、極端に言えば思い上がりの精神。同じ目線で過ごしていただきたい。
 海外のNGOは組織も人材育成もきちっとしている。日本は「気」一本で、専門性も欠けている。気一本できて、気がぐらつくと全部ぐらつく。
 そこで、ODA(政府開発援助)の3分の1くらいはNGO的な活動に目を向けていただきたい。長期的な計画に基づいて、専門家が安心して活動できるように保証していただきたい。。私はJICAで4年半勤めさせていただいたのですが、単年度契約で、帰国後の見通しもない。これでは優秀な若い人材が集まりにくい状況です。
幸田 長期計画は大事ですね。
岸田 とくにコミュニティ活動は長期でないと成果が上がらない。
 最近、日本も援助を外交手段、日本のためにならないといけないという本音を言い始めましたが、本当に外交手段にしたかったら相手国の一般の国民に理解してもらわなければいけない。役人は2年おきに代わってしまいますから、一般の庶民が日本は素晴らしい国だと言ってくれるような援助にしなくてはいけません。
幸田 かまどはアフリカだけでなく、他にも普及させる計画はあるのでしょうか。
岸田 ケニアでもそうだったんですが、かまど自体は私の前にもイギリスもドイツもずいぶん試みていますが、失敗している。手法があれば普及するってものでもないようですね。
幸田 コミュニケーションですね。岸田さんのような方がいないとだめなんですね
岸田 誰でもできます。心さえあれば。
(1999年2月15日東京都内でインタビュー)

インタビューを終えて

 「ケニアの母」と呼ばれる岸田さんとお会いして意外だったのは、その形容から思い浮かべていた「熟年のふくよかなお母さん」というイメージとは異なり、スマートで若々しくエネルギッシュな方だったことです。
 日本という異国から来た人をケニアの人びとが「母」と呼ぶには、よほど深い信頼の絆を感じているに違いありません。お話を伺って、それは赤ちゃんの命という、親にとって最も尊いものを守る力になってくれたからだ、ということがわかりました。
 ケニアの人びとの平均寿命が50代であるのは、新生児の死亡率が高いからですが、その大きな原因は水の汚染なのだそうです。
 きれいな水を安定的に確保するためには、水質管理だけでなく、水源や流域の環境を守ることも必要です。岸田さんの努力がケニアの人々と環境保護を結ぶ重要なきっかけになるのではないかと思いました。(幸田 シャーミン)



| Home | Books | Eco Interviews |

2022 All Right Reserved.
(C) Charmine Koda